日別: 2018年3月25日

コトリ、コトリと。

『バンドやろうぜ』という月刊雑誌があった。

だいたいTAB譜の楽曲解説、毎月大量の機材広告、「当方Vocal、完全プロ志向 全パート募集」なメンバー募集コーナーなどなど、当時中学生のギターキッズを、埼玉のTSUTAYAから夢の世界に一瞬で吹っ飛ばしてくれる雑誌だった。

その増刊号、L’Arc〜en〜Cielのギタリストken氏特集の一冊で、
「Snow Dropのギターを完コピ!」的な巻頭企画だったと記憶している。
ラルクの楽曲『Snow Drop』をイントロ、Aメロ、Bメロ、とパート別の楽譜、指の位置を示した写真で解説。
オリジナルテンポのギター抜きカラオケ、そこからテンポを落としたゆっくりバージョンのギター抜きカラオケ付きCDが付録についていた。
詳しいとお思いか。何度も弾いたんだ。
『ディレイ』という英単語はラルクで覚えた。
弾いた音を遅らせて「やまびこ」にして重ねる加工音としての『ディレイ』から。
これはken氏が当時のギターキッズ達に、否、お茶の間にまでこれでもかというほど聞かせてくれていた。

のちに英単語帳で「delay = 遅れ」と知り、多少の違和感を覚えるほど、ディレイは音だった。
例文は、飛行機のフライトの遅れについてだった。
ディレイとは、ギターの音をキレイに化けさせる、あの音なんだ。文脈が違う。『ディレイ』はポジティブな単語なんだ。

巻末の方であったか、ken氏のインタビューが掲載されていた。
ギターはストラトがカッコイイ、イングヴェイに影響を受けた、とか、今の自分の価値観にも結びついてるお話。
そこで特に印象に残ったのが「ギターの指板には宝物が埋まっている。」という結びのフレーズ。
「誰かが言ってたんだけど、」というような正直な枕付きの一節だったはずである。

当時「なるほど。そうかもしれない。」と曖昧な合点をし、ギターを弾いていた頃から十数年。
唐突にこのフレーズを思い出し「なるほど。そうかもしれない。」とまたも曖昧な合点をしたという訳である。

年を経るも何の進歩も感じられない告白をしているようでもあるが、ひとつ、言い訳を乞うとすれば、このフレーズの『宝物』という言葉に、どうもひっかかりを覚えるのであります。

埋まっているのかは定かではないのですが、弾いているうちに意図せずとも素晴らしい何かが、コトリ、と床に落ちたような感覚は、それなりに経験してまいりました。
「おお、これが例の宝物か。」といった具合に、良い何かが出てくるという点においては昔も今もそこに疑問はなく、だからこそ今になっても何故かわからず頭にふと浮かぶ真理なのではと雑に信仰している証になるのでしょうが、
『宝物』のその後についてであります。

早ければ明けた次の日。

「この音塊は、一体なんだったのだろうか?」

と、顔をしかめざるを得ない瞬間がやってくる経験によって、かさむけた指先でマフラーを触るような感覚を抱くのです。

これは、深夜に書いたラブレターが、翌朝にはもう封筒には決して入らないという実体験で以て、皆様お馴染みの事と存じます。

もちろん、腕の拙い演奏から落ちた一曲と、皆様の純粋なる恋慕から成るお手紙とではお話の勝手がぜんぜん全くこれっぽっちも違ってのこととは承知であります。
ですが言いたいのは、翌朝の

「」

の共通する点です。

これを知ってしまうともういけない。
翌朝はこなかったが、明日は来るかもしれない。
今日の宝物が、来月には? 来年には? もっと残酷にも、さらに長年抱えた後に何の前触れもなく『宝物』が、あの「」に変わってしまうのではないのか?

という疑念の余地を持たせてしまう、という意味で
「宝物が埋まっている。」に確信が持てないまま、それでもなお、探すのはやめずにいるという次第であります。

現時点での宝物は山ほどある。それによって得た宝物もまたたくさんある。人生の豊潤。感謝の連続。宝の山。が、それに対しての怯えも情けないことに同居させてしまっている。『現時点』などという概念が吹き飛ぶほどの恒常的宝物普遍性を実現すべく腕を磨こうという気構えももちろんある。対して「かまわん。違ったのならまた探せ。」と荒ぶる何かもある。

頭が騒がしく、耳鳴りの耐えない日々です。

コトリ、コトリと続けてる。

明日もまた探します。