日別: 2018年4月6日

無音もまた、効果音。

春。

外に出たら新たに目に入る花が多い。
外に出なくても画像サイズで咲いた花をよく見かけるものです。
人が多い場所に行けば、新しい制服とか、そういう、人の何かを見かけたりもするのでしょう。みたい。

春は音も、耳に新たになって面白い。
葉をつけた木の間を風が通る音だとか、
発情した猫の鳴き声だとか、
新年度に際して工場に持ち込まれた業務車の整備音だとか。

聞こえなかった音が増えてきたような感覚が、
すぐさま響く「季節の変化によって注意が外に向いただけ。音は常にそこにある。」とかいう打ち消しのひと声と共にやってくる。
音が増えたのは、春だからかという話で言ったらどちらにせよ、賑やかである。

春。新生活。
居を新たにする方もいることと思う。

春の賑やかさで包み込まれて気付きづらい騒音、隣人は持ってはいまいか。
静かで穏やかな環境は、
何も聞こえない場所じゃなくて、心地よい音が聞こえる場所だ。

廊下を歩くあの女の足音は毎朝気になるけど、彼の足音は好き、というようなものがあるじゃあないか。

ノイズ。

調音や録音に際して気になるのはノイズである。
ノイズのせいで聞こえなくなるものやみえなくなるものがある。
『在る』モノを隠すのがノイズだ。
たとえば、『在るはずの穏やかな生活』とかを。

そしてそれと同時に『在らず』モノをきかせたりみせたりするのもノイズである。
たとえば、『憤り』とかな。

冗談のように聞こえましょうが、
騒音トラブルで警察沙汰、なんていうのは結構耳にしませんか。そんなノイズ。

てな具合にノイズは通常、避けられるべきものであります。
サウンドが身近な人間は近くの人間への後ろめたさも相まって、ノイズに多少敏感なものです。
それらの処理に大半の時間を費やす人間が、今日もどこかで手を動かし目を乾かし耳を澄ませている。

隣人の奇声、改造車のエンジン音、隣に座った誰かの鼻息、
自ら開いたはずのタイムラインでの一言。
ハートが喜ばない何かはだいたいノイズに分類して間違い無い。

そして強まる『防音』への憧れ。

消せないノイズも世の中にはあるから、『防音』というのは良い言葉だと思う。
迎え撃つよりも身を守るような、正直で謙虚なアティテュードを感じる。

とはいえ防ぐのにも限界はあるから、
『消さない処理』も使わねばなりません。音楽屋なら尚更。
という考えで、
「望んでいるのは、音が無いことなのか?」
という疑問が『在る』ようになった。ノイズによって。

無音。

でも知ってる。
ありえないんだ。無音。
聴覚が無くなったら無音か?
いやたぶんきこえる。きこえてたものが。きこえない感覚でもって。きこえないきこえない、ってきこえる。

聴覚がもともと無かったら無音か。
『有音』との境が切れないから思い浮かべる『あの無音』はありえない。

ありえない。無音。

静かな場所に行っても必ず聞こえる。
普段気付かなかったのかな、いつも鳴ってたような耳鳴り。
髪が耳に触れる音だってする。
首を傾けた時の「シャリ」っていう音も。
息が鼻を通る音と喉を通る音の違いや、鼓動や血流の音も。
『衣摺れ』というのは、そういう騒がしい静寂とエッチな状況に使う以外で用途はあるのか。

だから『無音』というのは、ありえないからそれは『模型』として
「無音ということにしている」という音を抜いた効果音、サウンドエフェクト、SEである。

まるで映画で人が人を殴る時に鳴る音のように。
実際は殴った人が聞く音と、殴られた人が聞く音、そしてそれを見ている人に聞こえる音は全て違うけど、
それら全てがいい感じにカメラの位置だとかシーンにそぐわしく、感覚に訴えるバランスで

「あっちのマッチョが、こっちのマッチョを殴った。血が出るくらいの強さで。」

というのがすぐにわかる効果音1つとして、ああいう音が鳴るというわけである。

エイリアンがUFOから降りてきた時の音なんて聞いたことないけど、
「ああ、エイリアンがUFOから降りてきた」って感じの音がわかるアレもそう。

『無音』もまた然り、というお話なのです。

「音を抜いた効果音」って言ったけど知覚する『模型』としてだから、音というか「『波形』を抜いた」だとか、「デジタルなアレで可視化したとしたら揺れが一つもない信号」だとか言うべきなのかも知れません。

無音もまた、効果音。

というようなことが、ノイズによって『在らず』にはおられなくなりこうして『在る』、というわけであります。

春。
サウンドが賑やかです。