作者別: 入間川 幸成

音楽屋。

これまで武道館のステージを夢見て散ったバンドマンの数は、武道館のキャパにおさまりきるのだろうか。

『夢は人に語った方が良い』

という自己啓発的価値観。

これまで数多くご覧になった方もおられよう。
俺もその一人だ。

・人に伝える言葉にすることで夢が明確になる
・伝えた人が協力者となることもある
・自分の中で『逃げ』の姿勢が無くなり覚悟が決まる

などなど、そのメリットと共に語られるアレだ。

たぶんそうなんだろう。

たいていの夢の実現には他者の協力は不可欠だし、
それには言葉が必要だし、
夢と呼ぶからには覚悟を持って臨まなきゃならないくらいの大きさだろうから。

実際この教えに基づいて叶えられた夢は数限りなくあるだろうし、
その夢で幸せになった人も大勢いることだろう。

俺の生活にも影響するレベルで世の中をハッピーにしている『元・ドリーム』もあったことだろう。

だから、夢を語ろう!みんな!

というお話ではないんだ。

もっと、おっかない夢のお話をしたいんだ。

自分の中にある願い事。それらの中の、ある種の夢には、
口にした瞬間にすでに叶ってしまっているものがある。

叶ってしまっているっていうとなんかネガティブな印象だけど、
ネガティブな事だからもう一度言っちゃう。
口にした瞬間にすでに叶ってしまっているものがある。

『夢』ってもっとこう、ポジティブな文脈で出てくるワードじゃないかと思うでしょう。
そうなんだよ。夢ってポジティブなんだよ。
なんかワクワクしたり、熱くなってきたり、うぉーッ!!って叫びながら走り出したくなるようなエナジーに満ちたイイ感じの何かじゃないですか。

だから「夢は人に語った方が良い」っていうのは、
そういう夢のポジティブな面が、人にも伝わるから良いみたいな部分も大いにある。

きいてるだけでワクワクしたり、熱くなってきたり、俺も頑張ろう!っていうエナジーが湧いてきたりするから。
そういうのをプレゼントするポジティブな行い、というワケです。

だから、夢を語ろう!みんな!

というお話ではないんだ。

問題はこの「人に伝えた時に、相手にエナジーが伝わる」というところなんだ。

これ自体はとても素晴らしい。素晴らしすぎて自分の生活に毎日取り入れたい。エネルギッシュな日々。
毎日夢追う人々が我が家のドアチャイムを鳴らし夢を語りにきてほしい。三日もあれば片っ端からぶん殴れるくらいまで俺のエナジーはフルチャージされるはずだ。

夢って、語ってもらうと嬉しいよな。
心許されてる感じがする。実際俺がそうする時はそういう時だし。
それでさ、熱っぽく語る自分の話をきく相手が喜んでくれるのも嬉しいよな。
受け入れられた感じがする。

だからさ、
目の前の人を喜ばすために語る夢ってのがでてくる。

例えば警察官になりたいキッズがいたとする。
幼いなりに知ってる限られた職業とか生き方の中で身近だった警察官というものへの憧れはもちろんあるでしょう。
テレビとかの影響もあるだろうし。悪に立ち向かう大人はカッコイイ。

ただ、警察官への憧れもあったけど、そのキッズが将来の夢をきかれて答える、その『夢』を構成する要素に「警察官になりたいって言うと嬉しそうな母親」というのが結構な割合で含まれてる。

健気ないい子だ。そのうち「警察官になりたい」とでも言おうものなら逆に母親が悲しい顔をしてしまうようになるんだろうな。

夢を問われて「警察官になること」って答えたキッズの願い事は、
本当は「警察官になること」と「将来の夢を問う母親の喜ぶ顔をみること」だったわけです。
これらは分けて考える方が、俺は好きだ。
警察官を目指す幼少期は彼の糧になるはずだし、母親を喜ばせる夢も毎日叶えてきてほしい。

そういう幼少期を経て、いろんな物事を経験しつつ人生の岐路というか、外側からの進路決断の催促の時期がやってくる。
みえるものが増えたら、やりたいことは減っていたりする。

それでも残った「これぞ」という願い事を抱えてそれを叶えるべく頑張ったり、頑張らなかったりする。
疲れたタイミングで夢を語る誰かと出会う。なんか元気になる。自分もそうありたい。夢って素敵。

そんな時だ。

「俺、ぜってぇビッグになってよ。武道館。お前連れってやっからよ。」とか言っちゃったりしてないかって。
その夢、まさかベッドの上で語ってないよなって。
大切な夢、ワンナイトラブ用のペッティングの一部になってないかって思うんだ。

目の前の人を喜ばすためだけのファッション感覚、メイク感覚で語る夢。
二、三回泣いちまったら汚く崩れる程度のマスカラドリーム。

それが悪いっていう話じゃないんだ。
むしろガンガンやってこ。ペッティング。マスカラ。あ、マスカラはいいや。
目の前の人に喜んでもらいたいっていうアレは素敵だからガンガンやってこ。

問題は、混ざってないかっていうアレだ。
「俺は武道館のステージに立ちたい。」って語る自分の中に「俺はこの人が喜んだり元気になったりしてほしいんだ。」っていう願い事とか他にも俗っぽいのとか色々、
あったりするんじゃないのか。みえなくしてないか。
もちろん両立する時もある。全部同時に叶うこともある。
でも大きくなるにつれてそれは難しいから分けて考える方が俺は好き。
ストレートな欲求を覆うために『夢』を使わないような。
女の子口説く時は素直に「あんたを勇気付ける人になりたい」「…とかなんか耳障りいいこと並べてカッコつけたいけどその前に実はめっちゃ抱きたい」的なスタンスが自分の中で明確になってるような。実際言ったらキモいけど。

自分の中にある願い事。それらの中の、ある種の夢には、
口にした瞬間にすでに叶ってしまっているものがある。

隠れたもうひとつの願い事が混ざった「武道館のステージに立ちたい」は、
語られた瞬間に、実はもう叶ってしまったのかもしれない。
ビッグドリームを語る自分。語れる自分を受け入れる誰かの好意。
違う名前をつけられて、本人に意識されないままの願い事。

でも実際、武道館のステージには立ってない。抜け殻みたいな夢になる。
二、三回泣いちまったら崩れる。もしくは抱えたままウロウロして、時が経つほどに身動きがとれなくなる。

本当は武道館じゃなくても良かったんだ、って気づく時まで。

人に語ると目の前の人が勇気付けられたり、自分自身が元気になったりと素敵なことが起こるからこそ、
夢そのものがその素敵な何かで覆われてしまって、みえにくくなることがあるんじゃないか。
その願い事は、言葉通りの中身なのか。違くても後に引けなくなってるのか。
「武道館のステージに立ちます!」って夢を語って散っていったバンド達の本当の願い事は、喜んで勇気付けられた誰かがいたらもう叶ってたんじゃないか。

部屋中を覆うような、大量の作品の死骸から漂う腐臭をまとって、誰にも語らなかった怨念みたいな野望を引きずって外に出てきたような奴が、希望を根こそぎ騙し取られて、きたねぇ居酒屋で「俺、偉くなりたいよ。誰にも邪魔されないくらい偉くなりたいよ。」って泣きながら酔い潰れてるボロボロの願い事の方がよく見えたりするんじゃないか。全然キラキラしてない、でも言葉通りの中身の夢。

夢を語ると、隠れてしまうものがあって、それで苦しくなることもあるんじゃないか。
というお話。

そういうの考えると、
ファッションドリームを超えて、なんか語るのがこわいくらいに大きく思える夢が、
人の口からふと語られる瞬間というのは、やはり尊いと思うわけです。

「夢は人に語った方が良い」っていうか「人に夢を語るのは、良い」って思う。

やらなきゃよかったようなことの中にあるやってよかった事とその逆。

春は新しいことに挑戦してみようみたいな雰囲気が漂っていて『行動』について語られたり考えを述べ合うような季節です。
なるべく前向きに、意識高めに。なめられないように。優位に立てるように。
「やってよかった。」という行動と「やらなきゃよかった。」って行動がある、という考え方には

「やらなきゃよかったなんて事は無い。捉え方次第で全てが君の糧になる。」

なんて反論が花粉と一緒に飛んでくるのが春というものです。

僕も時々思います。当時はやらなきゃよかったと思うような、我ながらクソみたいな選択肢を選んだけど後で振り返ってみると結果よかったのかな、みたいな事。
「なんであの終盤でボトル頼んだんだろう。」って便器を抱きしめながらハァハァと後悔している時を思い返して、なかば無理矢理に「でも陽気に騒いたことで『性格悪そうで無愛想なクズ野郎』が『酒癖が悪いゲボ野郎』くらいの印象にはごまかせたかもしれない。結果、これでよかったんだ。」なんて思えるわけがないじゃないですか。心配して歩道に引っ張ってくれた人の面倒さとかハンパないじゃないですか。

でも、お酒を飲みながら仲良くなった人は、大概そういうアレを差し引いても付き合ってくれる優しい人達だし、そういう優しさに甘えて大人気ない飲み方とかしちゃいけないなーっていう反省期間がひと月くらいは続いて大人しくなる事を考えると、全く無駄だったともいえないかもしれません。
「最初から飲むなよ。」の一言で片付く問題であることに目をつぶれば。
「やらなきゃよかった」の中には「やってよかった」が必ずあるんだ。
もちろんその逆もあると僕は思ってる。良い面だけを無責任に見せて押し付けるようなことはしちゃいけないからね。

『前向き行動論』は僕の酒臭い後悔なんて低レベルな話など対象にはしていないので、ああいうのはやっぱり悔いてしかるべきだと思うのですが、ちょっと勇気を出した行動、というのはやはり得るものというか「よかったなー」って思えるものになるんじゃないかなって思います。
そう、ちょっと勇気を出した行動。これですね。欲や劣等感や見栄に任せて選んだ行動とは区別すべきでした。

先日、三月の末日に『ひきがたりのひ』という気の抜けたタイトルをつけたアコースティックライブを行いました。
『入間川幸成プレゼンツ』ということで出演者を僕の独断で選ぶことができたのは先日お伝えした通りなのですが、あれはそれなりに勇気のいる行動でした。

実際には「ひさしぶり。歌いに来てよ。」ってメッセージを送るだけで、なんの苦労もない事なのですが、「ひさしぶり。食事でもどう?」よりもはるかに高いハードルに僕には結構勇気がいりました。
「なんで?」って返しても怒られないようなお誘いじゃないですか。食事はわかる。お腹空くし。
もちろん声をかけた5人のシンガー達は「なんで?」なんて返さないのはちゃんとわかっていたのでそこは安心なんだけど「すみません、ちょっとその日は別件との兼ね合いで夜は空けられなくて…。」っていうオブラートで包んだ「なんで?」でもおかしくはない急な申し出だったわけです。

もし仮に僕が、普段からベロベロに酔っぱらった彼らを介抱して家まで送り届けていたりしたものならもう少し恩着せがましく電話とかできたはずなんですけど、年単位で会ってないまさに疎遠な僕に快く応じてくれたわけです彼ら。「彼らがいいし、彼らならきっと無下にはしないだろう」みたいな甘えもあったけど、快諾してもらえてとても嬉しかった。ちょっと勇気を出してよかった。

結果、その『ひきがたりのひ』の夜は、出会った当初から僕に衝撃を与えた彼らが時を経てさらに力を増し優しさを備え少しおっさんっぽいのもまじったりしながら、思っていた以上のクオリティが届けられる1日になりました。お立ち寄りの皆様どうもありがとう。
「声の出し方忘れたかー?」と野次られる唯一の例外、入間川が伸びない声で一番大きく出たのは「ありがとう」であったと自負しております。伸びない声、の点においては本当に申し訳無く思っています。でも「オンマイクか?」とかきこえるMC中や「おやおや?もう残弾がないのかい?」なんて心の声を読むアンコール中の君たちの声が飛んでくるあの感じ、『内輪』と呼ぶよりは『アットホーム』と言った方が近いんじゃないかみたいな僕の好きな雰囲気でしたありがとう助かりました助かってないけど助かりました。

新しいことに注目が集まるこの季節、勇気を出して昔の縁に手を伸ばしてみてよかったと思ったよ。
そういえば春って更新の季節でもあったりしましたね。ぼくらのつながりの更新。
疎遠になってた人に声をかけて、楽しい時間を過ごすことができたっていう事実は、自分もちょっとはマシな人間なんじゃないかと思える自信につながって、またちょっとの勇気に形を変えるんじゃないかなと思います。本当によかった。やってよかった。

帰ったら少し吐いた。

ひきがたりのひ

イベントをね。
やるんです。
弾き語りをする人たちを集めて。
僕が好き勝手できて楽しめることをやろうじゃないか、っていつぞやか一緒に飲んだ時に店長に言ってもらったのです。店長の粋な計らいです。
あんまり多くはやりません。今後の予定も展望もないのです。じゃあこんなことをやって意味はあるのかということも気にはなるけど、じゃあ意味のあることってなんなんだろうと思うと、店長と飲んでいた時のような「なんか、疲れちまいますね。」っていう感じになるから、やっぱりこういう日に行き着くんだと思います。

ひきがたりのひ。

僕が店長から「春にでもやろうやー」って連絡をもらったその日に連絡をした5人です。
運良くみんなスケジュールの折り合いが良かったらしく、僕はうれしかったです。

まずは。

村上雄太。

入間川が弾き語りのイベントをやる時には大概いてくれる気がします。
というか僕がライブハウスに行くと大概ゆうたに会える気がします。
なんかみたことあるけど話ができる感じじゃない風な線分で構成されているライブハウスという場所で僕が「おおう、」と声をかけられる人がいるというのはとても大きな出来事だと思います。

全く見知らぬ人で構成されている場所よりも、
薄ぼんやり顔が割れている場所でひとりでいる時の方が「あ、ひとりだ。」って実感しやすいだろ。
それをぶちやぶってくるのがバンドマンだ。こっちの都合なんかおかまいなしにブワーっとくる。
それはステージから放たれる音楽かもしれないし、バーカウンターの前の乾杯かもしれない。
バンドマンの数少ない美点を挙げるとすればそんな感じだ。空気を読まない。だからこちらの空気が良くない時なんかは。バンドマンは悪くない。
ゆうたはそんな感じだ。ブワーっとくる。というか酔っ払ってる。酔っ払ってよくわからない事を言ってくる。だがそれがいい。

僕はゆうたと話をした記憶は結構あるんだけど、何を話したかは覚えてない。
だから、本当にどうでもいいことしか話してないんだと思う。たぶんゆうたもそうだと思う。
損得か色恋かみたいなのでデロデロしてるライブハウスの狭いコミュニティの中だと、気楽になれる話題ってそういうのだから。バンドマンはラーメンの話くらいしかツイートしないでしょう。きっとそうでしょう。執着してる損得や渦巻いてる肉欲とかエゴとかのちょうど隙間らへんで人に見せても大丈夫な辺り。それがラーメンだからでしょう。

ゆうたとラーメンの話をしたことはたぶんないけど、なんかそういう、ラーメンの話みたいなふわっとした感じでぶつからなそうな空気があるような気がする。だからゆうたとまた一緒にやりたいんだと思う。要するにバトルモードな『対バン‼︎』というイベントじゃなくて、ふわっと、ひらがなで表記するような感じのイベントがやりたい時には村上雄太という男には声をかけたいわけなのです。
そんな村上雄太の歌をおききいただきましょう。YouTubeで検索すると彼のアカウントでライブ映像がたくさんでてくるんだけど、どれがイチオシなのかわかるようにしといてほしい。「ようこそ!まずはこちらをごらんください!」みたいなウェルカム感くれよ。15分の動画を全部チェックして回るのは骨が折れるぜ。再生ボタン押しても曲が再生されないものだから、彼が歌うバンド『camome.』のMV貼るよ。

斎田宙如。
poroでカッコイイ人。
ライブの熱量が半端ないしなんか俺がモヤっと悔しい感じの曲をつくる男。
去年弾き語りイベントをやった時に「またやろうな!」って店長に言ってもらった時から「次はサイダ、呼びたいです。」って宣言していたのでこの実現は嬉しい。結構長いこと、会ったらあいさつはするみたいな関係で時々ライブハウスで遭遇してた感じなんだけど、時を経た今も全然変わってなくて、正直お互い「ぶっちゃけよく知らないんだけど。。」みたいな感はあると思う。間違いなくあると思う。でもよく知らないんだけどイベントに呼びたいと思わしめるっていうのはそれはすごいことじゃあないかい。

初めてライブをみたとき、フロアからステージに飛んでくるヤジ?ガヤ?的なやつが別種のものだった。内輪っぽい空気で応答がなされるんだけど、部外者の俺もなんか楽しくなる空気。「この人、愛されてんなー。」ってすぐにわかって一緒に笑っちゃうような。部外者を許容する内輪感が自然にあって。これどうやんだろ?って思ったりして、愛されてんなーが前提だから、愛されなきゃならん、愛されよう、愛されよう?きっしょ。無理じゃん。ってな具合で僕は諦めたような記憶がうすぼんやりあります。

二、三言葉を交わして「また、飲みましょう!」みたいな短時間のコミュニケーションでもそんな空気が伝わるあれは一体なんなんでしょうね。空気。そればっかだな俺。うん、空気で選んでるみたいなところがあります。音楽じゃねーのかよみたいなアレもあることでしょうが、ほら、音って空気を伝わって僕らに届くじゃないですか。なんかそれっぽいこと言った風だけど書いてて俺もよくわからないけどね。

バンドでキレキレの歌とギターでお客さん喜ばせてるけども。けども。声と曲がもうアレだから是非とも弾き語ってほしかった。バンドの映像を貼っておこう。poroは検索にひっかかりにくくて困るぜ。MVもおもしろかったりして好きだけどライブハウスで撮ったガシャガシャのやつの方がサイダ感出ててカッコイイからこっちね。

YUCCI。
「ゆっち」と読むのでしょうけど僕はゆきえと呼ぶ。
知り合って間もない頃のライブの打ち上げで「ブス」と面と向かって言った直後にものすごい速さで顔面を殴られて以来僕はゆきえが大好きなんだけど、同じイベントに出ててもあんまりしゃべることはない。でもイベントに誘ってほしいし、誘いたい。そんな感じで今月の初めにもゆきえが歌うバンド『S.H.E』が主宰するイベントに僕は呼んでもらって歌いに行ったりした。僕は自分が好きにキャスティングしていい機会を与えられてゆきえに連絡した。でもたぶんこの日もあんまりしゃべらないんだと思う。

そうだ、ゆきえが、バンドリハーサルで利用するスタジオの店員さんだった頃があって。超エネルギッシュな髪の色してるのに、ダウナーなスタッフゆきえとたまにエンカウントすると地味に和んだりしたんだけど別に何を話すわけでもなくなんとなく「おおう、」とか言ってスタジオに入るうちにライブハウスでみかけても僕から声をかけてもいいんじゃないかということに勝手にしているわけです。

ゆるっとだるっと話すものだから「建前か?本音か?」とか「僕はこの人を持ち上げた方がいいんだろうか?」みたいなことを考えなくてよくて心地よい空気をつくるようなあれがあるんじゃないかと思う。バンドマンって空気を読まない。持ってる空気で楽にしてくれる。そういうあれがゆきえにあるような気がして、だから彼女は女の子に好かれるんじゃねーかなとか思う。打ち上げでブスとか言ったけど歌ってるとマジで別人なんじゃねーかと思う不思議体験をいつもする。こないだのライブの時はなんていい顔で笑うんだろうみたいな瞬間が端々にあって、もう打ち上げで右フックをもらうことはないのかもしれないと思うと少し寂しい気持ちになりました。
ひとりで弾き語りをするのはみたことないから出演オッケーもらえて本当によかった。
そんなゆきえが歌うバンド『S.H.E』のMVはこちら。

岡本まさき
まさきです。いつの間にかバンド活動を開始していました岡本まさき。
弾き語りで結構長い付き合いです岡本まさき。
僕は車の運転をする時は高確率で岡本まさきのソロ音源をききます。
そのうちちょっと真似して歌ってみて、ああ、やっぱりダメだ、ってなってまたききます。
岡本まさきの何がすごいって、酒気帯びなのにものすごいクオリティで歌うことです。
僕の記憶の中のまさきはいつもお酒を飲んでいて、たぶんライブハウスがオープンする前からもう飲んでいて、「いるみーん!」とか言いながら駆け寄ってくる陽気な姿です。いつもいつも陽気で可愛らしく、お酒を飲んでいない時はつぶされてしまいそうな何かがいつもいつもあるのではないのだろうか、人前に持ち出したりみられたくはない姿の自分を持っているのではなかろうか、と心配になるほど陽気です。

だから僕はまさきとわいわい騒ぐのはとても好きです。でも僕が飲み始める頃にはまさきはだいたい眠ってしまっているので、一緒にお酒を飲んだ、ということは実はあんまりないんじゃないかと思います。それでもなんか楽しいのです。お店の隅っこでまさきは眠っているので話をすることはなくても、そこにまさきがいると楽しい何かがテーブルの上に乗るような気がするのです。なんかそういうアレです。よくわからんけど。きいてみて。

百瀬あざみ。

ここまででおわかりのように僕だいたいの出演者とちゃんとしゃべったことなくてお互い好きな食べ物すらも知らなかったりするような感じなんだけど、百瀬さんはマジで面識しかない。「あ、百瀬さんだ。」って俺がわかるくらいのアレしかない。ライブハウスならセーフ。街中で見かけて「あ、百瀬さん!」って声かけたらアウト。絶対彼女はビクッとして間合いを広げていくと思う。「あ、すみませんおどろかせて。あの、以前我々の企画にお呼びさせていただいた、Riverside Creatureというバンドのメンバーの者です。入間川っていいます。」くらい言わなきゃダメな感じだと思ってた。その間にじりじり距離を詰めようものなら彼女は俺の自己紹介を聞かずに走って逃げてただろうと思う。でもそれでいいんだ。そういうセキュリティ意識を持っててよかったって、俺は安心して近くの自動販売機で缶コーヒーを買って、CMに出てくる「頑張っててカッコイイ男イメージ」の主人公になったような脳内設定で開けた缶を見つめて、「女に声かけて逃げられたよあいつ…」っていう通行人からの目線をやりすごそうと頑張るんだ。

でもハコとか店長の名前出せば大丈夫な感じにならないかなーなればいいなーっていう希望的観測の希望濃いめで声をかけて出演オッケーもらった時は嬉しかった。俺、街中でもあいさつして大丈夫なんじゃないか、って思えたよ。百瀬さんだけは空気じゃないんだ。空気じゃなしに声をかけた。あーもう少しきいていたいなーっていう声に出会った時のことを思い出して。ライブハウスの名前を借りて自分が好きな人に声かけていいよって、店長から言ってもらえたアレを利用して「じゃあ百瀬さんもいっていいすか?」っていう勢いで連絡したらオッケーだった。よかった。

「声が綺麗な女性ボーカル、知ってます。」っていう話の流れで方々で名前を出したりしてるからご存知かもわからんけど改めて映像貼りますね。

そんな人たちを呼んで、歌う日。
ひきがたりのひ。

■3月31日(木)
MOSAiC × 入間川幸成 presents
『ひきがたりのひ』
斎田宙如(poro) / 岡本まさき(popolomonica) / YUCCI(S.H.E) / 村上雄太(camome.) / 百瀬あざみ /
入間川幸成(Riverside Creature)
OP/18:00 ST/18:30 [前]\1000 [当]\1500 +2Drink(\1000)
※座席形式となります。

18:00 OPEN

1.    18:30-18:55村上雄太(camome.)
2.    19:00-19:25斎田宙如(poro)
3.    19:30-19:55 YUCCI(S.H.E)
4.    20:00-20:25岡本まさき(popolomonica)
5.    20:30-20:55百瀬あざみ
6.    21:00-21:25入間川幸成(Riverside Creature)

DV彼氏と小学生が柔軟剤でふわふわウォーキング腰痛

腰痛緩和という情けない理由で目的地をもたず外を歩き回る。
平日昼間のベッドタウンの空気は、日光で膨張した柔軟剤の甘ったるい匂いを、年寄りが緩やかなウォーキングでかきまわしてできてる。そこらじゅうのベランダの洗濯物が識別不可能なほどに匂ってくる。夕方になればそれが夕食の匂いに変わり、夜になればシャンプーの匂いに変わるんだろう。腰が痛い。背筋と腹筋のバランスだ。衰えた筋肉を取り戻すべく、さっき運んだ右足をまた前に運ぶ。運んでも運んでも前に運ばなければならない。右も左もキリがない。ウォーキングというよりは徘徊に近い。陽光に目を細めた表情はあまり平和的じゃあないだろうと思う。健康志向の町の空気は、そんな徘徊者も柔軟に包んでくれるらしい。やつらは服も心もふわふわだ。

原チャリで来たのにわざわざ町を徘徊するという無駄な移動。『移動』ではなく『運動』が必要なのに歩けど歩けど運動らしくはならない。『移動』以外の存在を認められないような都市の空気とは違い、ふわふわタウンなら『移動』なのか『運動』なのか、はたまた『徘徊』なのか、曖昧な僕のこの苦行も柔軟に包み込んでもらえるんだと思う。
目的地を持たずに新宿を歩くなんてとても無理だ。ひとりなら確実に『移動』になる。目的地は駅一択だ。二人なら。ラブホテルだろう。

幼い頃に嫌というほど歩き慣れた道を歩いてみる。嫌というほどというか本当に嫌だった。
家から小学校までの距離はとてつもない長旅に思えたし、かつてのふわふわタウンはそこらじゅうに犬のフンが放置されていてよくウンコ踏んでた。本当に嫌だった。
今では駅のホームにガムやタバコが散乱してないし、犬のフンを踏むこともない。不審者も見当たらない。『住みよいまちづくり』というのは実現するんだ。住んでないけど。

「裏門からでたところの生垣、こんなに低かったんだ。」とかそういうベタなやつはもちろんだけど小学校からかつて住んでた家までの通学路をたどると気づくのは、あったものよりも、ないものばかりだった。
小学校の裏門から出ると線路の下をくぐる。その長さ数メートルほどの『トンネル』は、校舎の北側に位置するせいか数メートルながら暗くて、ときどき上から水滴が落ちてきたりする。上を電車が走ると堪え難い轟音がしたりして低学年の僕を大いにビビらせ、早歩きを習得するきっかけになった。

暗いのも水滴もあったけど、轟音はしなかった。
こんなに静かだったか。列車や線路の性能が上がって騒音が緩和されたのか。僕の耳の性能が当時より落ちたのか。後者は無い物と信じたいが明らかに音が小さい。暗く狭いトンネルで、列車の通過を待つ男が立ち止まっているところを児童に見られなくて本当に良かった。遅れて学校に来たがために、毎日通らなければならない通学路に無用な恐怖を与えかねないと今思い返していて気付いた。

トンネルを抜けたところには怪しげな教材セットを、勉強なんかするわけないガキをおもちゃで釣って売りつけるおっさんが設置した『申込みボックス』もなかったから雑草もいれられなかった。
鉄クズをくすねても絶対ばれない程に廃材が山盛りになったボロ屋もないし、「くめくめひろし」って書かれた情報番組っぽいへのへのもへじの落書きもない。ウンコ踏まないように下ばかり見て歩くクセがついてたはずなのに結構見てたものだと思う。特に思い入れがあったわけでも記憶に残るエピソードがあったわけでもないのに、無いとわかると「あ、ないな。」以上の何かが内側にあることに気づくらしい。辿った道には帰れない。

「知らねー奴に愛想振りまいてんじゃねぇよ」とか言ってDV彼氏が怒るのは、
初対面の彼女の笑顔の素敵さを知っているからだ。それがもう自分にはないことも。
自分が『知らない奴』から『彼氏』までの道を歩いてきた。それを一番よくわかってるから過敏に反応するんだと思う。
初対面の好印象。心配してた二回目の約束のあっけなさ。「おいおい、これいけるっしょ!?」の連続。それに伴う彼女と自分の変化。「もう一度戻ってやり直したいな。」なんて思う暇もなくいつも先の期待に向けて進んでいた二人の関係。好意的なアクションとリアクションの連鎖。
でもその道はもう辿れない。もう自分以外の誰かしかそれができないもどかしさ。
「おめぇよぉ、」と彼女に絡む時にそんな事は意識にはのぼらないし気付いてもいないけど、その事実は常に頭の中に存在している。

期待を込めて他人に向けた好意へ、予想以上の好意が帰ってくる。
感情の振れ幅の大きい何かを投げたら、感情の振れ幅の大きいと思われる何かが必ず帰ってきてた事。
そのノスタルジー感欲しさと、それが再現不可能だという事実。そもそも何が欲しいのかもわからないイライラが混じっているカオスが『知らねー奴に愛想』という光景で吹き出し繰り出す一撃。
彼女のリアクションは大きい。大きな感情の振れ幅。これか。これなのか。自分の行為に、彼女が即座に大きく応える。会話とも違う。セックスにもない。これかもしれない。もう一発。
そんな感じなんだろう。『DV』は『子供のだだっこ レベル99』とでも呼ぶものだ。叱る人はもういない。

DV彼氏はもう彼女とはじめましてはできないし、背が伸びた今はウンコくせー通学路もないし騒音は緩和されたし柔軟剤の甘ったるい匂いがするようになった。
僕は道でウンコを踏むこともない。あるのは腰痛だ。腰が痛い。

ステージからピックを投げたらさむい事になるバンドマンの割合。

ライブで最後の曲が終わった後に。
ステージの照明を反射した小さな放物線の先にちょっとした歓声と、それを包囲するやや広めの緊張感。
ライブで生まれた一体感に波紋を落とすそのパフォーマンス。
そう、ピック投げです。

ピック(pick)は、ギターなど撥弦楽器を演奏するための道具。爪、プレクトラム(plectrum)ともいう。
(−wikipediaより抜粋)

プレクトラムって名前もあるんだと初めて知りました。
日々勉強ですね。

ギター弾く人間なら誰もが憧れるのがこのピック投げです。
ギターを始める動機ナンバーワンが『モテたい』である以上、
美しいアルペジオも、流麗なフィンガリングも、ピック投げの魅力には敵いません。

ステージの上からクールにピックを投げたら「キャー!!」な歓声。
ノールックで舞台ソデにはける。コレです。

ギターを始めた少年たちが本当に出したい音は、この「キャー!!」です。

私もギターを弾く人間の端くれですので、このピック投げへの憧れは常に抱いて生きてきました。
弾きたい。投げたい。キャー出したい。そんな煩悩を胸に研鑽の日々を過ごしてまいりました。

もしも私がベーシストとしてステージに立ったら、
きっとピックを持ってベースを弾くことでしょう。
『指弾きによるポジショニングや右手の指先の動きに見惚れる女の子が多い』
『指弾きでなければ得られないトーンがある』
などというのは百も承知の上でです。
それらと引き換えに狙わなければならない音が、私にはあるのです。

指弾きの先に注がれる熱い視線などよりピック投げに沸く歓声。
終演後の密かなLINE交換より打ち上げの一気飲み。
そういう愚直なキッズ願望にこそ、ステージの女神は微笑みかけてくれるのです。

だってそうじゃありませんか。
30分やそこらのライブハウスのステージで。
あのマイクスタンドに付けたピック並べてくっつけとくアレ、あんなにピック使うわけないじゃないですか。
もうアレなんか僕からしたら「ステージの女神様、微笑みかけてください。」っていうお守りアピールですよ。
「僕、ピック投げで『キャー!!』ほしいです。」の意思表明ですよ。

そんな大いなる憧れと、もはや信仰に近い思い入れが『ピック投げ』につきまとっているわけなんですよ。

そうなるにはちゃんと理由があってですね。

憧れのままに投げると、ものすごく、理想と現実との差に打ちのめされるからなんです。

僕、ピック投げの「キャー!!」って、生で目撃したのって数回くらいしかないんです。
あとは全部ディスプレイの向こうの世界。

目の前で行われるピック投げってこう、まばらなフロアにポトっと落ちたのを、
ステージの真ん前にいるそこのバンドメンバーの彼女っぽい人がそっと拾って取り巻きっぽい女の子と微笑み合う、それを後ろから対バンとかその関係者が生暖かく気恥ずかしげにチラ見するみたいなちょっとした哀愁が漂うものなんですよ。

もう全然ダメです。僕らはそんなののためにジャンプの裏表紙の通販ギターセットにお小遣いをつぎ込んだんじゃありません。

そんなのはステージの上なんかでやるもんじゃありません。

お前がこの街を出て行くって聞いて初めて自分の気持ちに気付いたんだけど今までずっと一緒にいたのに離れ離れになるってわかるまでお前が好きなんだって事に気付かないくらいバカで感謝の言葉も口にしない自分も見えないくらい今までわがままな俺だったけどずっと一緒にいてくれたお前みたいな奴にありがとうも言えずにケンカ別れする自分のバカさ加減にいてもたってもいられなくて謝りたいとかありがとうって言いたいとか全部俺の都合じゃねーかってのはわかっちゃいるけどそういうのとかどうでもいいくらいにお前に会いたくてずっと走ってきて息も切れ切れの俺をいつもみたいな優しい笑顔で見下ろしながらお前は何か俺の持ち物が欲しいなんて言って俺は何も持たずに家を飛び出してきたもんだからポケットをまさぐってもいつも使ってるボロボロのピックしかなかったけどそれを手にしたあいつは本当に嬉しそうに笑って電車に乗り込ん

みたいな渡し方のためにとっておくべきなのです。

『ピック投げ』とは、人気と実力を兼ね備えたプレイヤーがオーディエンスを興奮のるつぼに叩き込みステージを後にするその刹那にこそ成功する超高難易度な必殺技なのです。伴奏やソロの比ではありません。

地下のステージでその瞬間を追い求め技を磨き合う僕らは、おとなしくポッケにとっておきの一枚を忍ばせておくものなのです。
紳士が常にポッケにハンカチを携帯しておくように。

9割くらいかな。