作者別: 入間川 幸成

音楽屋。

Riverside Creature解散

僕が8年間続けてきたバンド、Riverside Creatureが解散します。
音楽性の違い、というのが理由です。
メンバーそれぞれ、より良い音楽をさらに作り出していけるように最良の方法だと判断し決定しました。

どんなバンドにもいつか必ず解散の日は来るのはわかっていたのですが、
もっと先の、もっと違う形の解散の方が良かったけど、
もうここまででした。

解散の理由は一言で言うと『音楽性の違い』なのですが、
音楽性が違うこと自体はむしろバンドにプラスに作用します。
力強いサウンドで演奏していると良いものが自分の中から湧いてくるような感覚で。

でもそのためにはバンドの中、メンバー全員に『大事な何か』が無いと生まれないんだと思います。
同じ夢だとか、大きな野望とか、バンドそれぞれにあるような感覚的なもので、『ある』『ない』くらいしかわからないような曖昧なものな感じです。
それらにメンバーの磨いた技術とか音楽性をまぜ合わせて、バンドの音はカッコ良くなるんだと思います。それが良かったんです。
そのバンドが持つ『大事な何か』がRiverside Creatureには無くなってしまいました。

解散の理由がこのような感覚なので、
「解散ライブ」のようなイベントはやらないという決定をしました。
多くのバンドがそうしてきたように、本来であればお世話になったみんなの前にちゃんと現れて最後に最高の演奏をするのがバンドの礼儀だと思います。
でもそれは僕にとって絶対にダメなライブだとわかっているので、このバンドの最後のライブはそれにはしたくないという僕のわがままで解散ライブは行いません。
本当にごめんなさい。最後に最大の無礼を許してほしいです。
最後の最高のライブはもう終わってしまいました。

ごめんなさい。
今まで本当にありがとうございました。

会えたらトウモロコシ

夏っぽいことできなかったなぁと思い返して。
いや待てよと。夏野菜は食べた。トウモロコシとか食べたではないかと。
あれは夏の季語的な扱いでしょうきっと。「夏をテーマに一句詠みましょう」なんて国語のテストがあったらきっと部分点入るハズ。

岩手の山奥から関東の平野まで届けられたそれらをモシャモシャしていたら、
確かに夏っぽい感じがしたわ。したわ!
青空に入道雲、蝉の声に濃いめの麦茶。
スカスカの時刻表とガラガラの路線バス。旅だ。
夏野菜の一口から旅をしたわ。もうこれはそういうことだろう。
夏休みの思い出ランキングNo. 1の『旅』ですよ。
日記の宿題が出てたら私は旅についてきっと書くでしょう。
旅に出ずとも書くでしょう。
そして日記の宿題も旅の計画も国語の一句テストも、何一つ無いのに私は旅について書いている。

親しい友人や家族が、旅先にいたり、
彼ら同士が旅先で出会ったりなんて思いを馳せるのも、旅っぽい。
ああ、そっち行くのか。あいつが近くにいるはずだよ、って。
そういうのも旅っぽい。ちゃんと会えたよな。

旅の行く先で会えたかな、とか一緒に何をみたりするんだろう、どんな景色があるんだろう、とか。
不精な俺は行きたいとは思わないけど、行ったら行ったで合流できたら安心するんだろうなとか。

トウモロコシとかあんのかな?みたいな。
この夏の俺の旅の原点だから。トウモロコシ。できればあったほうがいい。
もしあったら俺はトウモロコシ持つ係やりたい。
旅したなーっつってモシャモシャしてるの見たりしたい。
夏っぽいことできなかったなぁ。

新作『終わらない夕暮れに消えた君』リリース

iOS/Androidアプリ『終わらない夕暮れに消えた君』がリリースされました。
今回も作中の楽曲や効果音をつくりました。
入間川サウンドパラダイスです。主に制作中の俺の頭がパラダイスでした。
夢中になってぶわーっとつくっていたので「あ、たぶんこれ振り返れる頃には記憶ほどんど消えてるな」と思いつつ、リリース後の今になって振り返ると、つくってる最中に「今のこういう感覚とかを居酒屋とかでダラダラと話したい」みたいなことがあったのを思い出したので、書いてるうちに思い出していかないかなというアレで今こうしてるアレな次第です。

情景が思い浮かぶような横田特製文書によりシーンの楽曲のイメージがぶわーっとあったのはさっき思い出しました。「こんな感じでいこうかな」みたいな雑談をしている最中に浜中から「夕暮れの話だから〜」みたいなアイディアをもらいつつつくり始めたら、結局それが自分でも納得の最適解だった、みたいなこともあったような気がするのですが、それをどうやって実現したのかの記憶が抜け落ちてるのが惜しいところです。

先に「ここはこんな感じの流したい」っていう楽曲を揃えた上で。
実際に画面上で動かしつつ曲を流して「やっぱちょっと変える」みたいなことはこれまでもちょいちょいやってきたのですが、今回は制作終盤になってワンシーンまるごとこっそりと曲を追加したりもしてました。
そういう「俺サプライズするぜヒャッハー!」みたいな一人ワクワクポイントとかもありました。ミスったらすごくカッコ悪いなというのに今気づきましたがその時はノリノリだった気がします。結果オーライです。

今回からグラフィックにも手を出しております。
アプリでこれまでリリースされてきたタイトルの浜中、横田とで打たれてきたドット絵ノウハウをラーニングしてこれまた夢中で打った。打ちまくった。すごく楽しかった。

手を動かす部分が増えると、見えてくるものも増えるな、という当たり前のことを再確認しました。
「奥が深い。」とか当たり前のことをさっきもつぶやいていたような気がします。
「奥が深い。」というのは「今まで俺は浅い部分しか見ていなかった。」と言ってしまっているようなものですね。言ってしまおう。俺は浅い部分しか見ていなかった。深いレベルにいる人から見れば今もそうかもしれないけど。でも昨日よりは今日の方がちょっとだけ浅くない。たぶん。そう感じで深いところをみれるようになっていくんだと信じたい。深いところで泳ぎたい。

パッと見てぶわっとくる「すげぇ!」っていうのを目の当たりにすると同時に、そういう「今まで全然気づかなかった!すげぇ!」っていう部分も少し見えてきて。

そんな感じで、チームのメンバーが担当してる、シナリオやシステムなどの領域を近くで目の当たりにしてると、彼らと、そこから世に出回るいろんな制作物を眺める目にリスペクトの光が加わったような気になるのです。「なんて丁寧なつくりなんだ!」って。レコーディングで、いい感じのテイクを生み出すプレイヤーをコントロールルームから眺めてる感じに近いかもしれない。「ヤバいフィルイン録れちゃってるよ!」って椅子から跳ね上がるような。

そういう、メンバーが各々、力を尽くす感じがたぶん好きだったんだと思う。今後もそうだしそういう人間でありたい。っていうかみんな好きだよね。みんなって誰?とりあえず俺とお前は確定じゃね?うん。

そういうあれこれを経て、色々結集して、みんなに届くところまで進んでこれた、というのはやはり嬉しいものです。ぜひプレイしてほしい。思い入れの分だけ期待も不安も大きくなってるからぜひプレイしてほしい。

【iOS/Android】終わらない夕暮れに消えた君
サントラも配信されたんだ。「手元に置いておきたい」という曲になってたらとても嬉しい。そういう曲がみつかった時の気持ちを俺も知ってるからね!

喜ばしくもリリースから「よかったよ!」ってな具合にお言葉を頂戴する。嬉しい。自慢だ。プレイした直後に、目の前に俺が立ってたら「あ、よかったです。」ってとりあえず言わなきゃいけないみたいなそういうプレッシャー生まれるけど、目の前に俺がいることはほとんどないわけです。でも俺らに「よかったよ!」って言ってくれる。そういうの嬉しいよね。
目の前でならともかく、レビューとかツイッターとか、ネットは良くも悪くも言えるし、何も言わないこともできるけど、その上で「よかった!」って言ってもらえるのは本当に嬉しい。「あ、これマジなやつだ!」ってなるからね!ものすごくハイになります。俺にとって感動的な出来事です。

思い出せたことはあんまり多くなかったけど、書いてるうちになんか敬意とか感謝が増してきました。
少しだけいい人間に近づけたような気がします。
今夜はよく眠れるような気がします。
それではおやすみなさい。

不良達の12回目の善行

東日本大震災復興支援チャリティイベントに出演した。
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『東日本大震災復興支援チャリティイベント』っていうとすごく大仰な催しみたいにきこえるけど、
ライブハウスでバンド演奏をするといういつものやつだ。

ライブハウス内で販売されているドリンクが一杯売れると100円、
カレーが一杯売れると300円が義援金として被災地に届けられるというシステム。

岩手出身の不良を中心に形成されたS.H.Eという不良バンドがもう12回も重ねている善行のひとつだ。メンバーチェンジを経て茨城出身の不良が混じり見た目のこわさが近年増している。やっていることは善いことだ。

そんな不良の溜まり場、新宿二丁目の地下にギター一本背負って歌いに行ってきた。

12回重ねられたこの善行のうち、私は11回参加している。
あの不良達に次いで一番あそこで義援金を巻き上げて回ったはずだ。

「飲めば飲むほどみんなハッピー」という飲酒の免罪符的なシステムゆえに。
曲と曲の合間に出演者が各々のスタイルでオーディエンスの胸を打ち、かつ財布を開かせるのがこのイベントの特徴だ。

だいたい大別すると三つくらいのスタイルがある。

■とにかくハッピーに騒ごうよ系
これが一番多いスタイルだ。そもそもドリンク+カレー義援金システムでライブハウスで楽しみながらというイベントなのでこのスタイルこそが王道。テンション上がってもう一杯、となるようなパフォーマンスができれば優等生不良だ。

ちなみにパフォーマンスが未熟だった頃の初回出演時、自らが飲みまくりこのスタイルを自給自足したバンドマンがいた。俺だ。つぶれたよ。

■震災の悲惨さを語り胸に迫る系
最近はあまりみないけど、東日本大震災からまだ日が経っていない頃に開催された時はたくさんの話を聞くことができた。被災地にゆかりのある出演者から各々のストーリーをステージで語ってもらいたい、というのもあの不良バンドの思惑にあるらしいから。思い出したり考えたり、初めて知ったりするバンドマン達のあの日の出来事。コト、と机にオイルライターを乗せた軽い音がするくらいに淡々と、悲しいお話を置くように話した人が過去にひとりだけいた気がするんだけど誰だか思い出せない。あれはなんかグッときた。

■震災の話題にはノータッチ系
「震災の悲惨さを語り」系の人たちが続いてなんか悲劇自慢っぽくなるのを避けてるんじゃないかっていうくらいそこには触れないスタイルもある。ライブハウスで鳴らす音楽だけで、というやつ。

亜種で「今日は義援金アレするから金だせや」と終始マネーの話で押し通すスタイルをとったバンドマンがいた。俺だ。引かれたよ。

健康で丈夫な体を持ちながら現地で重いものを運んだりしないくせに『復興支援』とのたまうからには集めなければならない。
マネーを。遠く離れた新宿の地下ライブハウスでの支援のデカさはマネーのデカさ。

バンドって誰かに頼まれてやってるわけじゃない上に、
やってるとそれなりに迷惑がかかる人もいたりするから。
バンドに限らないか。好きでやってること。弱音を吐いたら「じゃあやめればいいじゃん。困る人いないよ。っていうか減るよ。」で終わっちゃうような。

そういう好きなことをやって生きようとしてると
「ああ、やっててもいいんだ。」と思える瞬間に結構敏感になる。

自分が好きなことをやめずに続けてたから誰かのイイ感じの何かになれたみたいな出来事に。
不良達の12回目の善行もそういう出来事なのではないかと思う。
来てくれる人がいまだにいるっていうのもなんか「あ、善いコトしてるのかな」という気になれる。
これ以上自分を嫌いになるとまずい時とかそういうのはとても重要。

この日もドリンクやカレーが売れていて嬉しかった。
そして予想外の出来事が。

ステージから降りたらオレンジ色の紳士が「お疲れ様。これ、義援金に。」ってスマートに大金を手渡してくれて、俺しかいなかったから一瞬ネコババしようかと思ったんだけど岩手が今大変だし被災地に届けてもらうようにS.H.Eにたくした。ありがとうオレンジの紳士。

震災のあった年に池袋の地下でチャリティライブやった時も、俺らのステージの後に回した募金箱に大金を突っ込んでくれた人がいて。感謝の気持ちと共にその時のことを思い出して「まだやってるなぁ俺」ってなんか。ね。うん。

義援金の行き先とか詳細はS.H.Eが追ってアナウンスしてくれると思う。
S.H.Eのベース弾いてる不良のブログでそのひとつを見つけた。去年の春に届けた時の記事だな。121,908円。こういう感じになるから。

義援金を送ってきました(クズ海のブログ)

過去の義援金の事もちょいちょい公開されてるハズなんだけど探しづらいから今後は「これまでのみんなのイイ感じのアレ」みたいな寄付の記事とかまとめとけよ!そのまとめをいちいち告知に利用しとけ!

みんなありがとうな。

仕事だから、で切り離すのが自分の甘えとかじゃなくて近しい誰かだったら。

『仕事』という言葉を使うのに少し気をつかうようになった。
言葉自体は結構好き。

「この領分に」って決めた場所に注げるだけのエナジーを持ち寄る強い意志を伴った行動、みたいな感じ。
小説『木を植えた男』のイメージ。
森ひとつ再生させるくらいの偉業の可能性を持つようなのが『仕事』には含まれてる。ような気がする。

ただ、この仕事という言葉を耳にする日常で少しずつイメージが変わってきた。
結果、あまり乱発できなくなった。
あと単純に無職だったことが多かったのも原因。『仕事』に敏感になったんだ。
「あと」とかサブっぽく言ったけど正直に白状するとむしろこっちが主な要因だ。

遠ざかるほどに鮮明に意識にのぼるもの、それが『仕事』だ。
『仕事』の持つまぶしさは持たざるものの羨望の眼差しにこそ通るようです。

教壇の上で知識を授けるのも仕事だし、
性的に倒錯したおっさんの股間を蹴り上げるのも仕事だ。

行為はなんであれ、受け手とか報酬とか、そういう条件が揃ってたらそれはもう仕事だ。
だから森ひとつ再生させるくらいの意気込みで『仕事』する、そんな男に私はなりたい。
先生は生徒に学問の道案内をしてほしいし、嬢は今夜も全力で蹴り上げていてほしい。

ただ日常的に「仕事」と口にした瞬間に『木を植えた男』感とは違う何かが漂う。

「ごんめー!その日仕事だ。ごんめー!」

みたいな時の『仕事』

この『仕事』には土を掘り両手で苗を包み天候を見守るような熱心さよりも、
自分を誰かを切り離す道具のような安直さを感じるんだ。
仕事を理由にデート断られた男の恨み言のようだろうそうだろう。

「仕事だから」と言われれば引き下がるしかないみたいな破壊力。
仕事が理由であれば、仕事以外の出来事の遅刻やドタキャン、棚上げやフェードアウトもなんか仕方ないかなみたいな雰囲気がある。将軍家の家紋入り印籠みたいだな『仕事』。

逆に、それだけ『仕事』というのは人の為す行為の中で重視すべき尊いものであるということです。
両手で包み込んだ苗です。やがて森になる大事なやつ。

それだけ威力を持ってるから便利に「ごんめー!」って軽く使ってしまった時の「こっち側には入ってこないでね」と切り捨てるようなナイフ感。あれさみしいよな。
「パパはお仕事だから。」が最初のナイフ体験だった人は多いんじゃないかしら。でもきっとパパやママは両手で苗を支えるイメージの『仕事』で使ってたと思うぜ。そういうことにしとこうぜ。

「仕事と私、どっちが大事なのよ!?」

っていうあのお決まりのセリフも。彼女は仕事そのものよりも、『仕事』っていう切れ味の良い道具に文句があるんだろうな。日頃からそれを振り回してると彼女の中では 仕事=私を切り捨てる刃物 みたいな扱いになる。
本当は苗イメージなのに。だから「どっちが大事なのよ」みたいな並べられ方をすると「今の時点の不満だけで文句言いやがってこの女」ってな具合になるよな。いつか森になって一緒に木の実を集めながら散歩とかしようって思ってるのに!って。
仕方ねぇ。刃物としてその言葉を使ってきてたんだから。

っていうようなことを考えると、『仕事』って言葉を、舌の上に乗せるのには少し躊躇してしまう。
でもひとりの時は大丈夫。だから今すごい乱発してる。ゲシュタルト崩壊。

そしてひとりの時は、刃物のイメージもとても心強い。
「仕事だ。」って自分のためにこの言葉を使うと、行く手を阻む藪やらツタやらをバッサバッサ切り落としていけるような勇まし感とか、あと「切り進めていかないとヤバい。俺ヤバい。」っていうアドベンチャー感出てくる。拓いてるぜ!未開の地!みたいな刃物イメージからの、苗!

いつか森になる『仕事』を。

でもデート断る時は「仕事で」って言ってほしい。嘘でもいいから。