『悲しみのラベル』

たとえば「君だけだよ」って言われた時の特別な嬉しさが、
実は同じ人から何個も違う場所でつくられてるって知った時とか。
この人だけは違う。っていう嘘っぽくない感じが、
「お前もか」の一言で終わってしまった時とか。
そんな素振り全然無かったのに、
辛いの知られまいと一生懸命頑張ったその健気さとか。
その頑張りによって辛いの、全然気付けなかった時の、
なんか外側に追いやられた様な気がするのに、それは相手の優しさに違いないから、
閉め出されたなんて感じてしまう自分の浅はかさに気付いた時とか。
本当の事を知った時は、俺らはそれなりにしょんぼりしたり時々泣いたりする。
でも明日は仕事に行かなくちゃならなかったり、
学校で暗い奴だって思われたくなかったりで、
日常は日常で日常を続けなきゃならない。
だから内側に流れ込んだ本当の事には、
漏れ出さないようにフタをして。
奥の方にしまう。
その容器に貼られるラベルには、
たぶん『本当の事』って書かない。
『悲しい事』っていうラベルが貼られる。
それは、捨てる事もできないし、
誰かが引き取る事もできない。
仮に誰かに投げ付けたとしても、それは無くならない。
なのに相手は、それによって、その人の容器の中、増えちゃったりする。
自分の内側のそれは、無くならない。
それどころか時々なんかの拍子でフタが外れて。
内側に広がったりもしちゃう。
しかもそれは、
これから生きていく中で増えていくはず。
だからこそ。
それを抱えてる人の気持ちに対して思いを巡らせるコトが可能になる。
抱えてる人に対して、誰かが思い遣る姿に、もっと気付けるようになったり。
あとは、悲しみそのものと、もっと向き合えるようになれるかもしれない。
「なんで悲しいの?」
っていう問いには、
「だって騙されたから。」
って自答してたのが、
もっと深いところまで潜っていって、
描いた理想とか、思い入れの強さがみえたりするような。
だって、それがなかったら、悲しいのも無かったはずなんだ。
相手が元々、いなかったとしたら?
本当は、理想形が存在してて。
それが、叶わなかった。
仮に。
あの人が特別にしてくれるのは自分だけで、
嘘っぽくないこの人は、本当に真実だけでできていて、
僕が信じてた通り、辛い事なんて君には起こっていない。
それなら悲しくない。でもそうじゃない。
理想形はあったはず。無自覚に期待してたはず。
でもそれが何なのか、どういう形で、自分がどう思ってたのか、
っていうのは見失ったり忘れてたりするかもしれないから。
悲しい時は見失うモノが多いから。
そういうのがみえる可能性。
そういうのにかける自分になりたいと思って。
もし、それに共感してくれる人がいたら、
もっと報われた気持ちになれる、っていう期待もあって。
このお話をあの夏の日から歌い始めました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。