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会えたらトウモロコシ

夏っぽいことできなかったなぁと思い返して。
いや待てよと。夏野菜は食べた。トウモロコシとか食べたではないかと。
あれは夏の季語的な扱いでしょうきっと。「夏をテーマに一句詠みましょう」なんて国語のテストがあったらきっと部分点入るハズ。

岩手の山奥から関東の平野まで届けられたそれらをモシャモシャしていたら、
確かに夏っぽい感じがしたわ。したわ!
青空に入道雲、蝉の声に濃いめの麦茶。
スカスカの時刻表とガラガラの路線バス。旅だ。
夏野菜の一口から旅をしたわ。もうこれはそういうことだろう。
夏休みの思い出ランキングNo. 1の『旅』ですよ。
日記の宿題が出てたら私は旅についてきっと書くでしょう。
旅に出ずとも書くでしょう。
そして日記の宿題も旅の計画も国語の一句テストも、何一つ無いのに私は旅について書いている。

親しい友人や家族が、旅先にいたり、
彼ら同士が旅先で出会ったりなんて思いを馳せるのも、旅っぽい。
ああ、そっち行くのか。あいつが近くにいるはずだよ、って。
そういうのも旅っぽい。ちゃんと会えたよな。

旅の行く先で会えたかな、とか一緒に何をみたりするんだろう、どんな景色があるんだろう、とか。
不精な俺は行きたいとは思わないけど、行ったら行ったで合流できたら安心するんだろうなとか。

トウモロコシとかあんのかな?みたいな。
この夏の俺の旅の原点だから。トウモロコシ。できればあったほうがいい。
もしあったら俺はトウモロコシ持つ係やりたい。
旅したなーっつってモシャモシャしてるの見たりしたい。
夏っぽいことできなかったなぁ。

DV彼氏と小学生が柔軟剤でふわふわウォーキング腰痛

腰痛緩和という情けない理由で目的地をもたず外を歩き回る。
平日昼間のベッドタウンの空気は、日光で膨張した柔軟剤の甘ったるい匂いを、年寄りが緩やかなウォーキングでかきまわしてできてる。そこらじゅうのベランダの洗濯物が識別不可能なほどに匂ってくる。夕方になればそれが夕食の匂いに変わり、夜になればシャンプーの匂いに変わるんだろう。腰が痛い。背筋と腹筋のバランスだ。衰えた筋肉を取り戻すべく、さっき運んだ右足をまた前に運ぶ。運んでも運んでも前に運ばなければならない。右も左もキリがない。ウォーキングというよりは徘徊に近い。陽光に目を細めた表情はあまり平和的じゃあないだろうと思う。健康志向の町の空気は、そんな徘徊者も柔軟に包んでくれるらしい。やつらは服も心もふわふわだ。

原チャリで来たのにわざわざ町を徘徊するという無駄な移動。『移動』ではなく『運動』が必要なのに歩けど歩けど運動らしくはならない。『移動』以外の存在を認められないような都市の空気とは違い、ふわふわタウンなら『移動』なのか『運動』なのか、はたまた『徘徊』なのか、曖昧な僕のこの苦行も柔軟に包み込んでもらえるんだと思う。
目的地を持たずに新宿を歩くなんてとても無理だ。ひとりなら確実に『移動』になる。目的地は駅一択だ。二人なら。ラブホテルだろう。

幼い頃に嫌というほど歩き慣れた道を歩いてみる。嫌というほどというか本当に嫌だった。
家から小学校までの距離はとてつもない長旅に思えたし、かつてのふわふわタウンはそこらじゅうに犬のフンが放置されていてよくウンコ踏んでた。本当に嫌だった。
今では駅のホームにガムやタバコが散乱してないし、犬のフンを踏むこともない。不審者も見当たらない。『住みよいまちづくり』というのは実現するんだ。住んでないけど。

「裏門からでたところの生垣、こんなに低かったんだ。」とかそういうベタなやつはもちろんだけど小学校からかつて住んでた家までの通学路をたどると気づくのは、あったものよりも、ないものばかりだった。
小学校の裏門から出ると線路の下をくぐる。その長さ数メートルほどの『トンネル』は、校舎の北側に位置するせいか数メートルながら暗くて、ときどき上から水滴が落ちてきたりする。上を電車が走ると堪え難い轟音がしたりして低学年の僕を大いにビビらせ、早歩きを習得するきっかけになった。

暗いのも水滴もあったけど、轟音はしなかった。
こんなに静かだったか。列車や線路の性能が上がって騒音が緩和されたのか。僕の耳の性能が当時より落ちたのか。後者は無い物と信じたいが明らかに音が小さい。暗く狭いトンネルで、列車の通過を待つ男が立ち止まっているところを児童に見られなくて本当に良かった。遅れて学校に来たがために、毎日通らなければならない通学路に無用な恐怖を与えかねないと今思い返していて気付いた。

トンネルを抜けたところには怪しげな教材セットを、勉強なんかするわけないガキをおもちゃで釣って売りつけるおっさんが設置した『申込みボックス』もなかったから雑草もいれられなかった。
鉄クズをくすねても絶対ばれない程に廃材が山盛りになったボロ屋もないし、「くめくめひろし」って書かれた情報番組っぽいへのへのもへじの落書きもない。ウンコ踏まないように下ばかり見て歩くクセがついてたはずなのに結構見てたものだと思う。特に思い入れがあったわけでも記憶に残るエピソードがあったわけでもないのに、無いとわかると「あ、ないな。」以上の何かが内側にあることに気づくらしい。辿った道には帰れない。

「知らねー奴に愛想振りまいてんじゃねぇよ」とか言ってDV彼氏が怒るのは、
初対面の彼女の笑顔の素敵さを知っているからだ。それがもう自分にはないことも。
自分が『知らない奴』から『彼氏』までの道を歩いてきた。それを一番よくわかってるから過敏に反応するんだと思う。
初対面の好印象。心配してた二回目の約束のあっけなさ。「おいおい、これいけるっしょ!?」の連続。それに伴う彼女と自分の変化。「もう一度戻ってやり直したいな。」なんて思う暇もなくいつも先の期待に向けて進んでいた二人の関係。好意的なアクションとリアクションの連鎖。
でもその道はもう辿れない。もう自分以外の誰かしかそれができないもどかしさ。
「おめぇよぉ、」と彼女に絡む時にそんな事は意識にはのぼらないし気付いてもいないけど、その事実は常に頭の中に存在している。

期待を込めて他人に向けた好意へ、予想以上の好意が帰ってくる。
感情の振れ幅の大きい何かを投げたら、感情の振れ幅の大きいと思われる何かが必ず帰ってきてた事。
そのノスタルジー感欲しさと、それが再現不可能だという事実。そもそも何が欲しいのかもわからないイライラが混じっているカオスが『知らねー奴に愛想』という光景で吹き出し繰り出す一撃。
彼女のリアクションは大きい。大きな感情の振れ幅。これか。これなのか。自分の行為に、彼女が即座に大きく応える。会話とも違う。セックスにもない。これかもしれない。もう一発。
そんな感じなんだろう。『DV』は『子供のだだっこ レベル99』とでも呼ぶものだ。叱る人はもういない。

DV彼氏はもう彼女とはじめましてはできないし、背が伸びた今はウンコくせー通学路もないし騒音は緩和されたし柔軟剤の甘ったるい匂いがするようになった。
僕は道でウンコを踏むこともない。あるのは腰痛だ。腰が痛い。