カテゴリー: バンド

舌の位置。ピックの角度。

寒い。手が冷たい。もうイベントが始まってから4時間くらい経つのにこの地下の密室は寒い。人、結構入ってるのに。
楽屋はもっと寒い。なんだこの風。どこから来てるんだ。

前の演者、最後の曲。これまで8組。10分押しくらい? 5分で準備すればスケジュール5分押しで始められる。
トイレ。トイレに行っておこう。

手が冷たい。あとベタベタする。冷たい。
ギターケースごとステージに上がる。
マイク、持ち込みです。935。あれ、945だっけ?935。935だ。見てないけど935だったはず。
チューナー。カポ。マイクスタンドに挟む。
ギター。ケーブル。ケースはステージの端に置いておこう。楽屋に置いたらS.H.Eが通れない。
ギター。ケーブル。プラグイン。
チューニング。E、A、D、D、D、合わない。グイッと下げてもう一回、D。よし、G、B、E、もう一回下のE。OK。

サウンドチェック。コードストローク。F# G A B。ストローク。ストローク。
信号行ってない? 音出てない。ブラグ挿し直します。ストローク。ストローク。出ない? 出ない。
機材トラブルですね。ではステージさん、マイクでギターの音拾ってもらっていいですか。
ありがとうございます。あ、そこだと右手振った時にぶつかるかも。
ブリッジ側からマイク狙う、それいいですねPAさん。あ、ブリッジ側ですステージさん。PAさん卓からもう一回言ってるじゃないですか。ちょっとイラッとした空気乗ってる。前からじゃないです。ブリッジ、ココですココ。この方向で。あ、そうそう。横から狙ってもらって、そう。それなら右手がぶつからない。

ストローク。ストローク。
やばい、遠い。いまだかつてない最も小さなギターの音。
いやいや。むしろプラグ側のチェック甘くてすみません。
歌はものすごく小さい音で返してもらって。はい、コレでいきます。
21時4分。セッティング6分巻き? スケジュールから4分押し。
21時24分まで歌える。はじめよう。よろしくお願いします。
いきなり歌い始める感じじゃないな今日な。入間川幸成です。よろしくお願いします。

Cから。あ、手震える。すごい震える。舌の位置。ピックの角度。舌の位置。
歌い出し、歌い出し、『ミ』だ。「水際」の『ミ』。

ああ、遠い。音遠い。ギターの音に包まれない。歌はよく聞こえる。声震える。息が多い。吐いて。もっと吐いてから。
手震える。舌の位置。ピックの角度。舌の位置。

フロア見えない。いや、見える。光が見える。逆光? 前当て?っていうんだっけ。目が泳がないように。視線をとどめるのはあの光にしよう。あ、違う。顎上がる。あっちの光にしよう。舌の位置。ピックの角度。

高音は震えない。スッと。息吸いすぎない。舌の位置。
サビ終わった後の歌い出し、最初の発音。『モ』はっきり。「モノクロ」の『モ』。

ああ、いつもっぽい。いつもっぽくなってる。ギターだけ遠い。マイクに少し寄せる。ぶつからないように。

少し声も遠い? フロアの回り込みの音っぽい。
PAさん、声、やっぱり少しだけ返してください。
二曲目。カポ。2フレット。
ストローク。テンポ少し早い? ゆっくり。まだ手震える。舌の位置。ピックの角度。
あ、聞こえる? ギター聞こえる。
聞こえるようにしてくれたのかな。俺のハートの問題かな。聞こえる。
この曲は。重すぎず。でも軽くもなく。強く歌わない。今日はマイクから少し遠い。舌の位置。
フロア見える。今日、人多い。顎引いて。舌の位置。
聞こえる。どっちも聞こえる。悪くない。ピックの角度。
最後の音はブリッジの端からゆっくり手を当てていく。慌てない。手震えてる。ミュート。OK。

MC。ちょっと声張り気味で。目線は泳いでもいい。あっちの目。こっちの目。
このイベントの趣旨。続けるってすごいよね。あ、なんか偉そうに上から言ったっぽく聞こえた感じの笑いが出た。
違う、尊敬? 敬意を払う? の柔らかい言い方。ないわ。いいわ。
お金の話。義援金。金。結果。人の注目。企画の成長。「生臭いわー。」いいよ。そのガヤ。ちょうど良くなる。ありがとう。俺のお金への執着、リョウスケらへんのガヤ。それで完成する。この話。ありがとう。
カレー。1杯300円。全額義援金へ。今日はカズキがカレーを作るカズキッチン。「名前ダセェ。」いいよ。その辺のガヤ。いつもっぽい。いつもっぽくなってる。笑ってる。悪くない。

「悪くない。」が偉そうにきこえたかしら。「良い。」とは言えない状況、でも「悪い。」も違う。普通? 普通ってなんだ。良いと悪いの間でもない。悪くない。
良い悪いの両端を持つ線上から、少し離れた小さな点がほんのり熱を持ち始めてるような感じ? これなんて言えばいいんだ。わかんね。悪くない。
これまでいつもカレー作ってくれてたオノさんの話もしよう。このライブハウスのファーザー、オノさんあってのカレー義援金システムを初めて来てくれた人にも教えてあげなきゃ。背景とか奥行きがあったほうがたぶん楽しい。カズキが引き継いだっていうストーリーもいい。
4分しゃべった。主催者S.H.Eのヨイショと、この企画の趣旨、義援金システム、言いたいことは言えたかな。忘れてる気もするけど、あと9分しかない。歌おう。

カポ。5フレット。
舌の位置。ピックの角度。舌の位置。歌い出し、『タ』。よし、出た。
歌詞を考えすぎない。それは違う感じになる。重すぎず。軽くなく。舌の位置。ピックの角度。
伸びる。悪くない。ああ、そういえばもう寒くない。
あ、声割れる。ノド、力抜いて。マイクからも離れる。舌の位置。舌の位置。
見える。フロア。目が合う。離れる。合う。離れる。舌の位置。ピックの角度。

最後の曲の前に一言あいさつ。
カポ外す。ストローク、ストローク。ちょっと遅い。早くして、ストローク。
やばい歌い出しなんだっけ。なんだっけ、なんだっけ。
Gストローク、やばい、Aストローク、あと1小節。『カ』だ。「飾り気のない」の『カ』。
低い。声震える。今になって? 舌の位置! ピックの角度!
ストローク強い。力抜いて。声割れる。力、いいか。これはノド鳴らして歌おう。
ギターの音、綺麗に外で鳴ってるかな。今日のPAさんこれまでの出演者8組のアコギの音、全部綺麗に出してたから大丈夫よね。たぶん。大丈夫よね。みんな弾き方違うのにすごいわ。大丈夫でしょう。
終わった。9時24分。ぴったり。やった。「ピッタリ。」言いたい。でも言わない。ありがとうございました。

カレー食べれそうな感じする。

悪くない。ありがとう。

Riverside Creature解散

僕が8年間続けてきたバンド、Riverside Creatureが解散します。
音楽性の違い、というのが理由です。
メンバーそれぞれ、より良い音楽をさらに作り出していけるように最良の方法だと判断し決定しました。

どんなバンドにもいつか必ず解散の日は来るのはわかっていたのですが、
もっと先の、もっと違う形の解散の方が良かったけど、
もうここまででした。

解散の理由は一言で言うと『音楽性の違い』なのですが、
音楽性が違うこと自体はむしろバンドにプラスに作用します。
力強いサウンドで演奏していると良いものが自分の中から湧いてくるような感覚で。

でもそのためにはバンドの中、メンバー全員に『大事な何か』が無いと生まれないんだと思います。
同じ夢だとか、大きな野望とか、バンドそれぞれにあるような感覚的なもので、『ある』『ない』くらいしかわからないような曖昧なものな感じです。
それらにメンバーの磨いた技術とか音楽性をまぜ合わせて、バンドの音はカッコ良くなるんだと思います。それが良かったんです。
そのバンドが持つ『大事な何か』がRiverside Creatureには無くなってしまいました。

解散の理由がこのような感覚なので、
「解散ライブ」のようなイベントはやらないという決定をしました。
多くのバンドがそうしてきたように、本来であればお世話になったみんなの前にちゃんと現れて最後に最高の演奏をするのがバンドの礼儀だと思います。
でもそれは僕にとって絶対にダメなライブだとわかっているので、このバンドの最後のライブはそれにはしたくないという僕のわがままで解散ライブは行いません。
本当にごめんなさい。最後に最大の無礼を許してほしいです。
最後の最高のライブはもう終わってしまいました。

ごめんなさい。
今まで本当にありがとうございました。

不良達の12回目の善行

東日本大震災復興支援チャリティイベントに出演した。
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『東日本大震災復興支援チャリティイベント』っていうとすごく大仰な催しみたいにきこえるけど、
ライブハウスでバンド演奏をするといういつものやつだ。

ライブハウス内で販売されているドリンクが一杯売れると100円、
カレーが一杯売れると300円が義援金として被災地に届けられるというシステム。

岩手出身の不良を中心に形成されたS.H.Eという不良バンドがもう12回も重ねている善行のひとつだ。メンバーチェンジを経て茨城出身の不良が混じり見た目のこわさが近年増している。やっていることは善いことだ。

そんな不良の溜まり場、新宿二丁目の地下にギター一本背負って歌いに行ってきた。

12回重ねられたこの善行のうち、私は11回参加している。
あの不良達に次いで一番あそこで義援金を巻き上げて回ったはずだ。

「飲めば飲むほどみんなハッピー」という飲酒の免罪符的なシステムゆえに。
曲と曲の合間に出演者が各々のスタイルでオーディエンスの胸を打ち、かつ財布を開かせるのがこのイベントの特徴だ。

だいたい大別すると三つくらいのスタイルがある。

■とにかくハッピーに騒ごうよ系
これが一番多いスタイルだ。そもそもドリンク+カレー義援金システムでライブハウスで楽しみながらというイベントなのでこのスタイルこそが王道。テンション上がってもう一杯、となるようなパフォーマンスができれば優等生不良だ。

ちなみにパフォーマンスが未熟だった頃の初回出演時、自らが飲みまくりこのスタイルを自給自足したバンドマンがいた。俺だ。つぶれたよ。

■震災の悲惨さを語り胸に迫る系
最近はあまりみないけど、東日本大震災からまだ日が経っていない頃に開催された時はたくさんの話を聞くことができた。被災地にゆかりのある出演者から各々のストーリーをステージで語ってもらいたい、というのもあの不良バンドの思惑にあるらしいから。思い出したり考えたり、初めて知ったりするバンドマン達のあの日の出来事。コト、と机にオイルライターを乗せた軽い音がするくらいに淡々と、悲しいお話を置くように話した人が過去にひとりだけいた気がするんだけど誰だか思い出せない。あれはなんかグッときた。

■震災の話題にはノータッチ系
「震災の悲惨さを語り」系の人たちが続いてなんか悲劇自慢っぽくなるのを避けてるんじゃないかっていうくらいそこには触れないスタイルもある。ライブハウスで鳴らす音楽だけで、というやつ。

亜種で「今日は義援金アレするから金だせや」と終始マネーの話で押し通すスタイルをとったバンドマンがいた。俺だ。引かれたよ。

健康で丈夫な体を持ちながら現地で重いものを運んだりしないくせに『復興支援』とのたまうからには集めなければならない。
マネーを。遠く離れた新宿の地下ライブハウスでの支援のデカさはマネーのデカさ。

バンドって誰かに頼まれてやってるわけじゃない上に、
やってるとそれなりに迷惑がかかる人もいたりするから。
バンドに限らないか。好きでやってること。弱音を吐いたら「じゃあやめればいいじゃん。困る人いないよ。っていうか減るよ。」で終わっちゃうような。

そういう好きなことをやって生きようとしてると
「ああ、やっててもいいんだ。」と思える瞬間に結構敏感になる。

自分が好きなことをやめずに続けてたから誰かのイイ感じの何かになれたみたいな出来事に。
不良達の12回目の善行もそういう出来事なのではないかと思う。
来てくれる人がいまだにいるっていうのもなんか「あ、善いコトしてるのかな」という気になれる。
これ以上自分を嫌いになるとまずい時とかそういうのはとても重要。

この日もドリンクやカレーが売れていて嬉しかった。
そして予想外の出来事が。

ステージから降りたらオレンジ色の紳士が「お疲れ様。これ、義援金に。」ってスマートに大金を手渡してくれて、俺しかいなかったから一瞬ネコババしようかと思ったんだけど岩手が今大変だし被災地に届けてもらうようにS.H.Eにたくした。ありがとうオレンジの紳士。

震災のあった年に池袋の地下でチャリティライブやった時も、俺らのステージの後に回した募金箱に大金を突っ込んでくれた人がいて。感謝の気持ちと共にその時のことを思い出して「まだやってるなぁ俺」ってなんか。ね。うん。

義援金の行き先とか詳細はS.H.Eが追ってアナウンスしてくれると思う。
S.H.Eのベース弾いてる不良のブログでそのひとつを見つけた。去年の春に届けた時の記事だな。121,908円。こういう感じになるから。

義援金を送ってきました(クズ海のブログ)

過去の義援金の事もちょいちょい公開されてるハズなんだけど探しづらいから今後は「これまでのみんなのイイ感じのアレ」みたいな寄付の記事とかまとめとけよ!そのまとめをいちいち告知に利用しとけ!

みんなありがとうな。

これまで武道館のステージを夢見て散ったバンドマンの数は、武道館のキャパにおさまりきるのだろうか。

『夢は人に語った方が良い』

という自己啓発的価値観。

これまで数多くご覧になった方もおられよう。
俺もその一人だ。

・人に伝える言葉にすることで夢が明確になる
・伝えた人が協力者となることもある
・自分の中で『逃げ』の姿勢が無くなり覚悟が決まる

などなど、そのメリットと共に語られるアレだ。

たぶんそうなんだろう。

たいていの夢の実現には他者の協力は不可欠だし、
それには言葉が必要だし、
夢と呼ぶからには覚悟を持って臨まなきゃならないくらいの大きさだろうから。

実際この教えに基づいて叶えられた夢は数限りなくあるだろうし、
その夢で幸せになった人も大勢いることだろう。

俺の生活にも影響するレベルで世の中をハッピーにしている『元・ドリーム』もあったことだろう。

だから、夢を語ろう!みんな!

というお話ではないんだ。

もっと、おっかない夢のお話をしたいんだ。

自分の中にある願い事。それらの中の、ある種の夢には、
口にした瞬間にすでに叶ってしまっているものがある。

叶ってしまっているっていうとなんかネガティブな印象だけど、
ネガティブな事だからもう一度言っちゃう。
口にした瞬間にすでに叶ってしまっているものがある。

『夢』ってもっとこう、ポジティブな文脈で出てくるワードじゃないかと思うでしょう。
そうなんだよ。夢ってポジティブなんだよ。
なんかワクワクしたり、熱くなってきたり、うぉーッ!!って叫びながら走り出したくなるようなエナジーに満ちたイイ感じの何かじゃないですか。

だから「夢は人に語った方が良い」っていうのは、
そういう夢のポジティブな面が、人にも伝わるから良いみたいな部分も大いにある。

きいてるだけでワクワクしたり、熱くなってきたり、俺も頑張ろう!っていうエナジーが湧いてきたりするから。
そういうのをプレゼントするポジティブな行い、というワケです。

だから、夢を語ろう!みんな!

というお話ではないんだ。

問題はこの「人に伝えた時に、相手にエナジーが伝わる」というところなんだ。

これ自体はとても素晴らしい。素晴らしすぎて自分の生活に毎日取り入れたい。エネルギッシュな日々。
毎日夢追う人々が我が家のドアチャイムを鳴らし夢を語りにきてほしい。三日もあれば片っ端からぶん殴れるくらいまで俺のエナジーはフルチャージされるはずだ。

夢って、語ってもらうと嬉しいよな。
心許されてる感じがする。実際俺がそうする時はそういう時だし。
それでさ、熱っぽく語る自分の話をきく相手が喜んでくれるのも嬉しいよな。
受け入れられた感じがする。

だからさ、
目の前の人を喜ばすために語る夢ってのがでてくる。

例えば警察官になりたいキッズがいたとする。
幼いなりに知ってる限られた職業とか生き方の中で身近だった警察官というものへの憧れはもちろんあるでしょう。
テレビとかの影響もあるだろうし。悪に立ち向かう大人はカッコイイ。

ただ、警察官への憧れもあったけど、そのキッズが将来の夢をきかれて答える、その『夢』を構成する要素に「警察官になりたいって言うと嬉しそうな母親」というのが結構な割合で含まれてる。

健気ないい子だ。そのうち「警察官になりたい」とでも言おうものなら逆に母親が悲しい顔をしてしまうようになるんだろうな。

夢を問われて「警察官になること」って答えたキッズの願い事は、
本当は「警察官になること」と「将来の夢を問う母親の喜ぶ顔をみること」だったわけです。
これらは分けて考える方が、俺は好きだ。
警察官を目指す幼少期は彼の糧になるはずだし、母親を喜ばせる夢も毎日叶えてきてほしい。

そういう幼少期を経て、いろんな物事を経験しつつ人生の岐路というか、外側からの進路決断の催促の時期がやってくる。
みえるものが増えたら、やりたいことは減っていたりする。

それでも残った「これぞ」という願い事を抱えてそれを叶えるべく頑張ったり、頑張らなかったりする。
疲れたタイミングで夢を語る誰かと出会う。なんか元気になる。自分もそうありたい。夢って素敵。

そんな時だ。

「俺、ぜってぇビッグになってよ。武道館。お前連れってやっからよ。」とか言っちゃったりしてないかって。
その夢、まさかベッドの上で語ってないよなって。
大切な夢、ワンナイトラブ用のペッティングの一部になってないかって思うんだ。

目の前の人を喜ばすためだけのファッション感覚、メイク感覚で語る夢。
二、三回泣いちまったら汚く崩れる程度のマスカラドリーム。

それが悪いっていう話じゃないんだ。
むしろガンガンやってこ。ペッティング。マスカラ。あ、マスカラはいいや。
目の前の人に喜んでもらいたいっていうアレは素敵だからガンガンやってこ。

問題は、混ざってないかっていうアレだ。
「俺は武道館のステージに立ちたい。」って語る自分の中に「俺はこの人が喜んだり元気になったりしてほしいんだ。」っていう願い事とか他にも俗っぽいのとか色々、
あったりするんじゃないのか。みえなくしてないか。
もちろん両立する時もある。全部同時に叶うこともある。
でも大きくなるにつれてそれは難しいから分けて考える方が俺は好き。
ストレートな欲求を覆うために『夢』を使わないような。
女の子口説く時は素直に「あんたを勇気付ける人になりたい」「…とかなんか耳障りいいこと並べてカッコつけたいけどその前に実はめっちゃ抱きたい」的なスタンスが自分の中で明確になってるような。実際言ったらキモいけど。

自分の中にある願い事。それらの中の、ある種の夢には、
口にした瞬間にすでに叶ってしまっているものがある。

隠れたもうひとつの願い事が混ざった「武道館のステージに立ちたい」は、
語られた瞬間に、実はもう叶ってしまったのかもしれない。
ビッグドリームを語る自分。語れる自分を受け入れる誰かの好意。
違う名前をつけられて、本人に意識されないままの願い事。

でも実際、武道館のステージには立ってない。抜け殻みたいな夢になる。
二、三回泣いちまったら崩れる。もしくは抱えたままウロウロして、時が経つほどに身動きがとれなくなる。

本当は武道館じゃなくても良かったんだ、って気づく時まで。

人に語ると目の前の人が勇気付けられたり、自分自身が元気になったりと素敵なことが起こるからこそ、
夢そのものがその素敵な何かで覆われてしまって、みえにくくなることがあるんじゃないか。
その願い事は、言葉通りの中身なのか。違くても後に引けなくなってるのか。
「武道館のステージに立ちます!」って夢を語って散っていったバンド達の本当の願い事は、喜んで勇気付けられた誰かがいたらもう叶ってたんじゃないか。

部屋中を覆うような、大量の作品の死骸から漂う腐臭をまとって、誰にも語らなかった怨念みたいな野望を引きずって外に出てきたような奴が、希望を根こそぎ騙し取られて、きたねぇ居酒屋で「俺、偉くなりたいよ。誰にも邪魔されないくらい偉くなりたいよ。」って泣きながら酔い潰れてるボロボロの願い事の方がよく見えたりするんじゃないか。全然キラキラしてない、でも言葉通りの中身の夢。

夢を語ると、隠れてしまうものがあって、それで苦しくなることもあるんじゃないか。
というお話。

そういうの考えると、
ファッションドリームを超えて、なんか語るのがこわいくらいに大きく思える夢が、
人の口からふと語られる瞬間というのは、やはり尊いと思うわけです。

「夢は人に語った方が良い」っていうか「人に夢を語るのは、良い」って思う。

やらなきゃよかったようなことの中にあるやってよかった事とその逆。

春は新しいことに挑戦してみようみたいな雰囲気が漂っていて『行動』について語られたり考えを述べ合うような季節です。
なるべく前向きに、意識高めに。なめられないように。優位に立てるように。
「やってよかった。」という行動と「やらなきゃよかった。」って行動がある、という考え方には

「やらなきゃよかったなんて事は無い。捉え方次第で全てが君の糧になる。」

なんて反論が花粉と一緒に飛んでくるのが春というものです。

僕も時々思います。当時はやらなきゃよかったと思うような、我ながらクソみたいな選択肢を選んだけど後で振り返ってみると結果よかったのかな、みたいな事。
「なんであの終盤でボトル頼んだんだろう。」って便器を抱きしめながらハァハァと後悔している時を思い返して、なかば無理矢理に「でも陽気に騒いたことで『性格悪そうで無愛想なクズ野郎』が『酒癖が悪いゲボ野郎』くらいの印象にはごまかせたかもしれない。結果、これでよかったんだ。」なんて思えるわけがないじゃないですか。心配して歩道に引っ張ってくれた人の面倒さとかハンパないじゃないですか。

でも、お酒を飲みながら仲良くなった人は、大概そういうアレを差し引いても付き合ってくれる優しい人達だし、そういう優しさに甘えて大人気ない飲み方とかしちゃいけないなーっていう反省期間がひと月くらいは続いて大人しくなる事を考えると、全く無駄だったともいえないかもしれません。
「最初から飲むなよ。」の一言で片付く問題であることに目をつぶれば。
「やらなきゃよかった」の中には「やってよかった」が必ずあるんだ。
もちろんその逆もあると僕は思ってる。良い面だけを無責任に見せて押し付けるようなことはしちゃいけないからね。

『前向き行動論』は僕の酒臭い後悔なんて低レベルな話など対象にはしていないので、ああいうのはやっぱり悔いてしかるべきだと思うのですが、ちょっと勇気を出した行動、というのはやはり得るものというか「よかったなー」って思えるものになるんじゃないかなって思います。
そう、ちょっと勇気を出した行動。これですね。欲や劣等感や見栄に任せて選んだ行動とは区別すべきでした。

先日、三月の末日に『ひきがたりのひ』という気の抜けたタイトルをつけたアコースティックライブを行いました。
『入間川幸成プレゼンツ』ということで出演者を僕の独断で選ぶことができたのは先日お伝えした通りなのですが、あれはそれなりに勇気のいる行動でした。

実際には「ひさしぶり。歌いに来てよ。」ってメッセージを送るだけで、なんの苦労もない事なのですが、「ひさしぶり。食事でもどう?」よりもはるかに高いハードルに僕には結構勇気がいりました。
「なんで?」って返しても怒られないようなお誘いじゃないですか。食事はわかる。お腹空くし。
もちろん声をかけた5人のシンガー達は「なんで?」なんて返さないのはちゃんとわかっていたのでそこは安心なんだけど「すみません、ちょっとその日は別件との兼ね合いで夜は空けられなくて…。」っていうオブラートで包んだ「なんで?」でもおかしくはない急な申し出だったわけです。

もし仮に僕が、普段からベロベロに酔っぱらった彼らを介抱して家まで送り届けていたりしたものならもう少し恩着せがましく電話とかできたはずなんですけど、年単位で会ってないまさに疎遠な僕に快く応じてくれたわけです彼ら。「彼らがいいし、彼らならきっと無下にはしないだろう」みたいな甘えもあったけど、快諾してもらえてとても嬉しかった。ちょっと勇気を出してよかった。

結果、その『ひきがたりのひ』の夜は、出会った当初から僕に衝撃を与えた彼らが時を経てさらに力を増し優しさを備え少しおっさんっぽいのもまじったりしながら、思っていた以上のクオリティが届けられる1日になりました。お立ち寄りの皆様どうもありがとう。
「声の出し方忘れたかー?」と野次られる唯一の例外、入間川が伸びない声で一番大きく出たのは「ありがとう」であったと自負しております。伸びない声、の点においては本当に申し訳無く思っています。でも「オンマイクか?」とかきこえるMC中や「おやおや?もう残弾がないのかい?」なんて心の声を読むアンコール中の君たちの声が飛んでくるあの感じ、『内輪』と呼ぶよりは『アットホーム』と言った方が近いんじゃないかみたいな僕の好きな雰囲気でしたありがとう助かりました助かってないけど助かりました。

新しいことに注目が集まるこの季節、勇気を出して昔の縁に手を伸ばしてみてよかったと思ったよ。
そういえば春って更新の季節でもあったりしましたね。ぼくらのつながりの更新。
疎遠になってた人に声をかけて、楽しい時間を過ごすことができたっていう事実は、自分もちょっとはマシな人間なんじゃないかと思える自信につながって、またちょっとの勇気に形を変えるんじゃないかなと思います。本当によかった。やってよかった。

帰ったら少し吐いた。