カテゴリー: 雑記

理想の次元の違いとか。

人が読んだ時に面白く思ってもらえるようにブログを書く必要があるのは、

人が聞いたときに不快な物言いをする人がいる時に感じたりはするのですが、
「あんな言い方って無いよな。あと言葉遣いとは別に言外ににじむ、相手への敬意を欠いた態度。」
と我が振りを見直すコトと、
逆に快いアウトプットをするコトとが結び付きづらいのです。
あんなのは嫌だ、と思い遠ざかろうと心掛ける程に、視界にはそればかり収めていて理想的なアクションのスペースが侵されているような気になってくる。
嫌な何かへのリアクションとしてうまれたそれは良い物なのか、とも。
見たり聞いたりして小気味良い言動というのは、『対ウザキャラ用アティテュード』みたいな物騒さもなく理屈抜きまずは「あ、なんかイイな。」と来るもので。
だからこそ人が生み出すものはそっちよりのモノが望まれるコトもわかるのですが、実際にそれらを生み出す人というのは、それの必要性とかよりも、もっと別の優先順位でもってやってるんじゃないかと思われるワケです。
「こう言ったらあいつは喜ぶだろうな。」
みたいな作為的な部分にフォーカスするよりは「この言い回し、こないだみた映画の主人公が言いそうなカッケェやつじゃね。」とか。
理想の次元の違いというか。なんというか。

ネクストステージ。

大学に行く気が無かった時に、進路指導の時間に先生に言っていたのは「小中高と12年も勉強してまだ大学とか行って追加する意味がわからない。」でした。
『12年も勉強して』とサラリと言ってのけていましたが、ギュギュっと凝縮したら、多めに見積もっても勉強した時間は3年分くらいでしょう。
多くの学生さんと同じように、私にとっての勉強も、
学校という狭い世界の中で劣等感を抱かないための手段、とか、
周囲の大人からの対応を良くするための手段としての側面が強かったので、
「まだやんのかよ。」
みたいな感じだったワケなのです。
だいぶ後になって、知識そのものに魅力を感じたり、知識を生かすべき世界に身を置く機会を知るようになって、
「学校の勉強なんて役に立たねーじゃん。」
という反抗的な態度が、
実は
「役に立たねー次元にしかいねーじゃん。」
だっただけの事実に気付き枕に顔を埋めてバタバタしなければならなくなるのですが。
『役に立たない』というのは、役に立てなきゃいけない状況で己の能力を試さなくて良い環境にいる、というコトなのでした。
『校内からアクセス可能な情報を用いて、今季学園祭の動員人数を前年比10%増やしなさい。施策該当箇所は当日正午にレポートとし提出。条件に満たない場合は切腹。』
なんて状況だったら困る訳です。
それと比べれば、使わなくても腹を切らずに済み、減給や降格なども無い知識を頭に放り込んで紙に出すテスト対策だけで勉強のなんたるかと見限っていたのは残念なコトでした。
こんなコトをおそらく当時の教師も言ってはいたのかもしれませんが、勉強から逃れる言い訳やきっかけを探す私の耳に届くはずもありません。
『何の役にも立たぬが哲学』と言い切る社会教師と出会ってようやく『いい点とったら褒めてもらえる』的な次元から一歩出られたのではなかろうかという有様でした。
なんの話だったか。
知識を役に立てるため、膨大な勉強が必要とされるステージに身を置くのが、イケてる生き方だよね、っていう話をしたかったんだと思います。
学校で「役立たねーじゃん。」とか言ってた頃のお勉強は、そんなステージを迎えるための超イージーモード練習編。
『役に立つ』の適用範囲は広いから、
『俺が面白いから』とかも含まれる。
そんな知識の役立て方もイケてる生き方だと思う。
もちろん専門職で誰かの役に立つ仕事のためにインプットしていく勉強もそんなステージだと思う。
勉強というほど身構えてはいないにしろ、
新しい情報の収集と吸収にまとまった時間を使って、そんなコトをふと思ったんだ。

占い。

アメブロにログインする度に『今日のふたご座の運勢』みたいな占いを目にするんだけど、おそらく100点満点でその日の運勢を表してくれるこの占い、大概ジャッジが甘い。

高校生だったら常にクラス上位レベルの点数ばかりだしてくる。
今日は珍しく60点台だったけど、珍しく点数が低いとこれはこれで不満というか、不安になるじゃあないか。

さらば、白馬号。

乗り続けてきた原チャ、薄汚れた白馬号を手放す事になった。
兄が使っている時に一度盗難に遭い、
遠くの駅で乗り捨てられているのを発見して、何時間かかけて手押しで家まで持ち帰り。
何故か乗っていた兄ではなく俺が持ち帰ったこの件で所有権が私に移りお付き合いが始まった。
壊されたキーシリンダーを父が直し、というか改造し、
鍵を差し込まずにエンジンをかけるという対アウトローなグレーカスタマイズをしてもらい、
それから約10年。
ブレーキがかからなくなったり、
エンジンがかからなくなったり、
事故にあったりしながらも、
その都度パーツを交換して復活を遂げてきたフランケンシュタイン白馬も、
すべてのトラブルを解決してきた親父から、遂に戦力外通告を言い渡されたようです。
たぶん丁寧に解体されて、使えるパーツは使える場所に入り形を変えてどこかの原チャの一部になるのでしょう。
ハンドルロックもリミッターも無い旧世代の車体からさらにキーシリンダーさえも失い事故っても走り続けたタフな一台。粗雑に扱ってもパフォーマンスが変わらず長く使えるという、私の好みピッタリな特性もさることながら、
「こんなのでよく走れるな…。」みたいなロボットアニメ的なところが大好きでした。
掘り起こした機体にジャンクパーツをくっつけたロボットで、金持ちのライバルが持つ最新鋭のロボに挑む主人公気分で乗っていたものです。
市内の移動に使ってたから、バイク乗りの人みたいに乗り回した思い出みたいなのに浸るコトはあまりできないけど、「ぼく、オンボロマシンと長く付き合うの図」に悦に入れないと思うと少し寂しい。
さらば、白馬号。