これまで武道館のステージを夢見て散ったバンドマンの数は、武道館のキャパにおさまりきるのだろうか。

『夢は人に語った方が良い』

という自己啓発的価値観。

これまで数多くご覧になった方もおられよう。
俺もその一人だ。

・人に伝える言葉にすることで夢が明確になる
・伝えた人が協力者となることもある
・自分の中で『逃げ』の姿勢が無くなり覚悟が決まる

などなど、そのメリットと共に語られるアレだ。

たぶんそうなんだろう。

たいていの夢の実現には他者の協力は不可欠だし、
それには言葉が必要だし、
夢と呼ぶからには覚悟を持って臨まなきゃならないくらいの大きさだろうから。

実際この教えに基づいて叶えられた夢は数限りなくあるだろうし、
その夢で幸せになった人も大勢いることだろう。

俺の生活にも影響するレベルで世の中をハッピーにしている『元・ドリーム』もあったことだろう。

だから、夢を語ろう!みんな!

というお話ではないんだ。

もっと、おっかない夢のお話をしたいんだ。

自分の中にある願い事。それらの中の、ある種の夢には、
口にした瞬間にすでに叶ってしまっているものがある。

叶ってしまっているっていうとなんかネガティブな印象だけど、
ネガティブな事だからもう一度言っちゃう。
口にした瞬間にすでに叶ってしまっているものがある。

『夢』ってもっとこう、ポジティブな文脈で出てくるワードじゃないかと思うでしょう。
そうなんだよ。夢ってポジティブなんだよ。
なんかワクワクしたり、熱くなってきたり、うぉーッ!!って叫びながら走り出したくなるようなエナジーに満ちたイイ感じの何かじゃないですか。

だから「夢は人に語った方が良い」っていうのは、
そういう夢のポジティブな面が、人にも伝わるから良いみたいな部分も大いにある。

きいてるだけでワクワクしたり、熱くなってきたり、俺も頑張ろう!っていうエナジーが湧いてきたりするから。
そういうのをプレゼントするポジティブな行い、というワケです。

だから、夢を語ろう!みんな!

というお話ではないんだ。

問題はこの「人に伝えた時に、相手にエナジーが伝わる」というところなんだ。

これ自体はとても素晴らしい。素晴らしすぎて自分の生活に毎日取り入れたい。エネルギッシュな日々。
毎日夢追う人々が我が家のドアチャイムを鳴らし夢を語りにきてほしい。三日もあれば片っ端からぶん殴れるくらいまで俺のエナジーはフルチャージされるはずだ。

夢って、語ってもらうと嬉しいよな。
心許されてる感じがする。実際俺がそうする時はそういう時だし。
それでさ、熱っぽく語る自分の話をきく相手が喜んでくれるのも嬉しいよな。
受け入れられた感じがする。

だからさ、
目の前の人を喜ばすために語る夢ってのがでてくる。

例えば警察官になりたいキッズがいたとする。
幼いなりに知ってる限られた職業とか生き方の中で身近だった警察官というものへの憧れはもちろんあるでしょう。
テレビとかの影響もあるだろうし。悪に立ち向かう大人はカッコイイ。

ただ、警察官への憧れもあったけど、そのキッズが将来の夢をきかれて答える、その『夢』を構成する要素に「警察官になりたいって言うと嬉しそうな母親」というのが結構な割合で含まれてる。

健気ないい子だ。そのうち「警察官になりたい」とでも言おうものなら逆に母親が悲しい顔をしてしまうようになるんだろうな。

夢を問われて「警察官になること」って答えたキッズの願い事は、
本当は「警察官になること」と「将来の夢を問う母親の喜ぶ顔をみること」だったわけです。
これらは分けて考える方が、俺は好きだ。
警察官を目指す幼少期は彼の糧になるはずだし、母親を喜ばせる夢も毎日叶えてきてほしい。

そういう幼少期を経て、いろんな物事を経験しつつ人生の岐路というか、外側からの進路決断の催促の時期がやってくる。
みえるものが増えたら、やりたいことは減っていたりする。

それでも残った「これぞ」という願い事を抱えてそれを叶えるべく頑張ったり、頑張らなかったりする。
疲れたタイミングで夢を語る誰かと出会う。なんか元気になる。自分もそうありたい。夢って素敵。

そんな時だ。

「俺、ぜってぇビッグになってよ。武道館。お前連れってやっからよ。」とか言っちゃったりしてないかって。
その夢、まさかベッドの上で語ってないよなって。
大切な夢、ワンナイトラブ用のペッティングの一部になってないかって思うんだ。

目の前の人を喜ばすためだけのファッション感覚、メイク感覚で語る夢。
二、三回泣いちまったら汚く崩れる程度のマスカラドリーム。

それが悪いっていう話じゃないんだ。
むしろガンガンやってこ。ペッティング。マスカラ。あ、マスカラはいいや。
目の前の人に喜んでもらいたいっていうアレは素敵だからガンガンやってこ。

問題は、混ざってないかっていうアレだ。
「俺は武道館のステージに立ちたい。」って語る自分の中に「俺はこの人が喜んだり元気になったりしてほしいんだ。」っていう願い事とか他にも俗っぽいのとか色々、
あったりするんじゃないのか。みえなくしてないか。
もちろん両立する時もある。全部同時に叶うこともある。
でも大きくなるにつれてそれは難しいから分けて考える方が俺は好き。
ストレートな欲求を覆うために『夢』を使わないような。
女の子口説く時は素直に「あんたを勇気付ける人になりたい」「…とかなんか耳障りいいこと並べてカッコつけたいけどその前に実はめっちゃ抱きたい」的なスタンスが自分の中で明確になってるような。実際言ったらキモいけど。

自分の中にある願い事。それらの中の、ある種の夢には、
口にした瞬間にすでに叶ってしまっているものがある。

隠れたもうひとつの願い事が混ざった「武道館のステージに立ちたい」は、
語られた瞬間に、実はもう叶ってしまったのかもしれない。
ビッグドリームを語る自分。語れる自分を受け入れる誰かの好意。
違う名前をつけられて、本人に意識されないままの願い事。

でも実際、武道館のステージには立ってない。抜け殻みたいな夢になる。
二、三回泣いちまったら崩れる。もしくは抱えたままウロウロして、時が経つほどに身動きがとれなくなる。

本当は武道館じゃなくても良かったんだ、って気づく時まで。

人に語ると目の前の人が勇気付けられたり、自分自身が元気になったりと素敵なことが起こるからこそ、
夢そのものがその素敵な何かで覆われてしまって、みえにくくなることがあるんじゃないか。
その願い事は、言葉通りの中身なのか。違くても後に引けなくなってるのか。
「武道館のステージに立ちます!」って夢を語って散っていったバンド達の本当の願い事は、喜んで勇気付けられた誰かがいたらもう叶ってたんじゃないか。

部屋中を覆うような、大量の作品の死骸から漂う腐臭をまとって、誰にも語らなかった怨念みたいな野望を引きずって外に出てきたような奴が、希望を根こそぎ騙し取られて、きたねぇ居酒屋で「俺、偉くなりたいよ。誰にも邪魔されないくらい偉くなりたいよ。」って泣きながら酔い潰れてるボロボロの願い事の方がよく見えたりするんじゃないか。全然キラキラしてない、でも言葉通りの中身の夢。

夢を語ると、隠れてしまうものがあって、それで苦しくなることもあるんじゃないか。
というお話。

そういうの考えると、
ファッションドリームを超えて、なんか語るのがこわいくらいに大きく思える夢が、
人の口からふと語られる瞬間というのは、やはり尊いと思うわけです。

「夢は人に語った方が良い」っていうか「人に夢を語るのは、良い」って思う。