残り火。

アルバムをリリースした。
とても久しぶりに配信手続をした気がする。

手続きから1日で配信がスタートしたよ。早くなったもんだぜいいぞtunecore。

ヘロヘロになるまで頑張って頑張って作り上げたよっしゃー!
って感じの作り方じゃなくてさ。

旅の途中で断片的かつ気まぐれに歩きながら撮った写真とか、仲間とはしゃいで思い出したかのように取り出したカメラで撮った写真とか、そういう散り散りのシーンを集めたような、文字通りアルバムみたいなアルバムになったなって思う。

曲そのものというよりも、それぞれの曲に付随した記憶の印象が強い。
なんて個人的なアルバムだ。でもいいんだ。そういうもんだよ。

一番古い曲「よもぎのうた」が2009年に作られた。

あとは、バンドにいた頃に作った曲だから2015年から、一番新しくて2017年とかかな。
それ以後は、2019年に『cherish』をリリースしてるんだけど、自分が歌う曲を全然作っていなかったわけなんだ。
今2022年でしょ。全然だよね。

人前に出る時は昔作った曲を歌う。
いやぁ、別に悪いことでもないとは思うんだけどさ。
なんかいつも後ろめたかったんだよね。
「新しく曲作ってきたんだ。きいてよ。」っていうあの誇らしい気持ちが持てない寂しさも相まって。
気に入ってくれてる人もいるから自信持ってやれよって。わかる。そう思うこともある。でもそれ甘えてないか?気に入ってくれてるその人のそのお気に入りをさらに超える一曲をつくってお見舞いしようという気概はどこいった?ってね。
じゃあ作って出せよって話なんだけどね、まぁ今じゃなくていいか、っていうのを何度も続けたら今日になってる、っていうのを何度も続けていたわけなんだな。軟弱。

アルバムって形で世に放った後はなんか自分の手から離れた感じがするもんだ。
もう修正とかやり直しができない、提出済みの宿題みたいな。

「肩の荷が下りた」などとは言えない。そんなに重いものを背負ってたわけじゃないし。というか何も背負ってないまま、その時々「うん、いい感じ。」っていう風に手を加えてYouTubeにアップしてきた曲をまとめたからさ。

ただ、YouTubeも含めたリリースによって、もうこれらの曲に手を加える気持ちがふっと消えたわけなんだ。
そしてそれを結構期待して、少しずつこれまで作った曲を世に放ってきたわけなんだ。

さあこれでお前がいじれるような過去の曲はもうお前の手元に無いぞ。どうする?みたいなね。

空いたスペースに何か、新しい何かが欲しくなって手が動き出すんじゃないか。
あはよくば「これだ!」っていう脳天直下が訪れるんじゃないかっていう軟弱な期待を今まさに抱いているような感じだ。
さあどうしたものか。明日はどっちだ。