思考の泡。

人が1日に思考する回数が、数万回だったか数十万回だったか。
「そんなに?」って思うくらい多いんだよっていう説を見た覚えがある。

何を1回の思考としてカウントするのかによるとは思うけど、
この回数だと、洗い物をしながら指を動かした時にひっかかった爪の小さなバリに気付いたけど「あとで削ろう」とは思わないくらいの小さなもので捨て置いたうちに忘れちゃうくらいの細々した意識の端の泡みたいなのも含まれてるような気がする。

そのうちの数回。
ただの思いつきだったり、目に付いたものとか、思い出したりしたようなことを、ちょっと持ち上げて少し眺めてここに書いてる。

思い出したパターンだった時は、日頃から何度か取り出して考えたりしてたものを引っ張り上げた場合もあるから、数回の思考が、何回か繰り返されたものだったりもする。

「人が1日に思考する回数が数万回」の話を前提にすると、
「何も思い浮かばない」が使えなくて、「何も掬い取れない」とか「全て無視して彼方を彷徨ってる」「思い浮かぶが表には出したくない」みたいな状態であるんじゃあないかしらん。

内側に浮かんだ考えとか感覚とか感情を外に出せた日は、
頭、もしくは心の中で登ってきた数個の泡に気付けるくらいの状態。
人と話をする時は、目についたものとか、相手の発言に合わせた応答とかで、思考が外側に出されてるから。自動的にこれができてると思う。
そうじゃない時は自分がどういう状態なのかわからなくなりがち。

数万の内の、たった数回。