予想外の返事を受けることでパンチを防ぐ。

キレ散らかして外で大声で叫んだりとか。
すれ違い様に他人をぶん殴るみたいなことは無いんだけど。

道具、特にマシンとかソフトに対しては憤りをおぼえることがままある。
「なぜそこで落ちるんだい!?」みたいにね。

物は人と違って言い返したりやり返したり、良心の呵責を抱くことも無いから?
ちょっと違うような気がしたんだよね。

よく言われる、期待が過ぎるっていうのがアンサーだったんだけど。
これはもっと大きな印象でさ。
マシンとかデバイスとかソフトウェアみたいな現代のテクノロジー達は、私を期待させてくれるどころか、
これでもかというほど気分良く甘やかしてくれていると思うんだ。

現代の種々のテクノロジーを作る人たちは、より使いやすくより快適になるように頑張ってるわけでしょ。

「あっちのデバイスよりこっちのデバイスはすごいぜ」

「こないだのより新しいやつはもっとすごいぜ」

っていう風に、他所の製品だけじゃなくて、過去の自分達の製品も乗り越えて良くしつづけてるわけだ。
その研鑽は、さらにどこかの改良に繋がって、っていうような具合で、ユーザーの私の手元にはすごく快適で高機能な製品が届いて、ちょっとボーッとしてたらそれらはいつの間にか改良されて新しくなってたりするんだ。

使ってる時、気持ちが良い!あれもできる!これもできる!
こういう、テクノロジーによってもたらされる万能感。
私の中で大きくなっていくわけです。
甘やかされた王様のような何かが。
故に怒り散らす暴君にもなり得る。
予想や期待の外側の反応がちょっとでもあったりするとね。

マシンとかソフトって、使う人の入力に対して、快適に返事を返してくれるように作られてるじゃない。
スマートフォンの画面をスルっとスワイプしたら画面が気持ちよく動いていくでしょ。
上にスワイプしたのに変なビープ音を鳴らしながら斜め下にモタモタ画面が動いていったりとかはしないよね。

こういう、「入力 → 快適な返事」のラリーが何千、何万回と繰り返されててさ。
高性能であればあるほど私の中の暴れん坊予備軍も大きくなりやすいんだよね。
仮に24時間365日、この作り込まれた「テクノロジーの快適な返事」だけを受け続けてたら、外に出るのちょっと不安になるよね。久々の外出が不安っていうのもあるけど、予想外の反応にキレ散らかして外で大声で叫んだりしないかってね。

だから「この万能感は、どこかの誰かの努力の結果、一時的に与えられたものなんだ。」っていうのを常に取り出せるところに置いておきたいよね、っていうお話。

予想外の返事を受けること。バランスを保ちたい私にとって好ましいものとなる。
気持ちよさそうに撫でられてたと思ったら急に噛みついてきたりする想定外の返事を繰り出してくる生き物と触れ合ったりするのも、暴君の鎮静に一役買っているはずであろう。