「今、楽をしているな?」と気付くことがある。
作業の最序盤と、終盤に起こりやすい。
サウンドもグラフィックも、日々の色々もだいたい共通。
手間を減らす機知のようなものと、
あと一歩の踏ん張りでもう一段先を目指せる時の、手を緩める感じ。
この二つは違うものとして、今のはどっちだ?って一度見つめたいやつ。
作業の最序盤の『楽』は、だいたい「まぁ試しにやってみっか。」みたいな軽い気持ちで手を付けちゃうような。
手を動かさないで考えてると、モヤモヤして作業開始まで腰が据わらない。長引くと厄介。
このモタりを避けるために、手癖みたいな準備作業で地ならししてるうちに没頭して手元足元に色々見つかっていくような、良い助走になるので前者扱いになることが多い。
自動化とかテンプレート化で効率良くしていく工夫もその仲間かな。
作業終盤の『楽』は、後者のニュアンスで気付きがち。
「もうひと手間でさらに良くなるかもしれないぞ?いいのか?スルッと行こうとしてるぞ。おい、もう通り過ぎるぞ。」みたいに。
あれこれ迷いながら手数を繰り出してきたような重めの作業だと、だんだんどれが正解なのかわからなくなって、序盤〜中盤辺りの「A、B、Cの候補どれがいいか比べて選ぼう。」みたいな余裕が無くなってくる。
一手ごとにやってたらキリが無いけど、終盤の一手は仕上がりへの影響が大きいから、こういうところこそ踏ん張りどき。
それに目を瞑る決断は、時間切れか?気力切れか?今、楽をしているな?ってなるわけだ。
生活をおろそかにした作業で日に日に衰弱していく時期だとこういうことが起こりやすいから、体を重く保っておくことで、体力切れによる気力の枯渇はマシになった。
あと休息と遊びが良く効く。
それでも起こる。そして気付けて安堵する。
楽をしてる自分に向き合い直すか「そのままGOだ…!」みたいに選べるのは大事だからね。
他の作業とか、周囲の状況との兼ね合いで、最適解は変わるから、そこらへんをチラ見するくらいの余裕があるって気付けたらちょっと安心。なかった場合を考えたらね。
これを書いてても「今、楽したねぇ。」って思ったよ。いいね。