自分のキャパを知る行為は、キャパを広げる行為に等しい。

「自分のキャパを知っておくといいよ。」

合法的にお酒を飲めるか飲めないかくらいの時期に、いただくアドバイス。
一足先に社会に出ていた、否、私が一足以上遅れて社会に出ずに本とか読んでダラダラしてたので、真っ当に社会に出ていた同い年の社会人からこの言葉を受け取った。

これ以上飲んだらアウト。ここまではセーフ。っていうラインをね、若いうちに知っておくと、楽しく社交的にお酒を楽しめるよっていう。恥ずかしい飲み方をせずに済むよ、って。

とはいえ、そのラインを知っていたとしても、いい歳こいてきたとしても「よし、今夜はダメになろう。」って、明確な意志を持ってそこを越えることもあるし、「絶対もうダメだけど、まぁ、もういいか。」って崩れるようにそこを越えることも多々ある。恥の多い飲酒。

私ときたら、飲酒の限界突破はよくやるクセに。

根性見せ所での限界突破はそう起こさない。
最近は思い出せるのがあったかな。

運動部を経験しておいて良かったことの一つが、

「自分のキャパを知っておくといいよ。」

の根性版に、幼い頃さわれたこと。
負けたくない、とか、ダサいと思われたくない、みたいな当時の死活問題に関わる価値基準でゲロ吐くまで走ったり、ゲロ吐いても走ったりした時の「もう無理だと思ったけどまだいけるじゃん」という驚き。
汗にまみれて体は熱いのに皮膚に鳥肌が立って痺れたみたいな寒気と一緒に走るアラートモード。

基本的にキャパ越えると私吐いてるね。書いてて気付いたよ。
でも、案外そこからもう一歩踏み込めるもんだ、って知っておくのは、やっぱり良いものだな、っていう。
嫌なことは吐いたらすぐやめるけど、当時の部活とか、好きなものの辛いところまで踏み込んでいく時はね。
飲酒においてもやめた方がいいとは思うけど。思うけど。

キャパを知るってのは、容量の一杯まで一旦ぶち込んでみないとわからないから、
必ず、一番つらいところまでは行かなきゃあならない。
根性はそこでこそ磨かれる。

お酒なら頭がパーになってるからそこまで勝手に行っちゃうんだけどね。
根性発揮する時は、他の何かで頭パーにしなきゃあならない。
ストレスとか恐れとかもそれに入るけど、できればパッションみたいに好ましい方で。

自分のキャパ、知っておくといいよね、っていう。