身体感覚の開拓。

体の微妙な動き。

動作ひとつ、思っているよりも細かい動きが付随しているっていうお話だったけど、
そういう細かい動きの色々をセットで整えていくのが、楽器とかスポーツとか、あらゆる技術の習得だったりする。

未知の体の使い方を体が覚える感覚ってあるよね。神経が開通したような感じ。

例えば、手を使わずに耳を動かせる人がいるじゃない。
昔、大笑いした直後に真顔に戻るっていうおふざけをしてた時に、耳が動くことに気づいて、大笑いする時に入る力のどれが耳の動きにつながるってるのか探したらできるようになったんだよね。

口笛とか指笛が鳴らせるようになったのも、唇の形を色々試しながら舌の位置を調節して、さらに息を出す強さのちょうど良いポイントを探してできるようになった。

あと既にできる動きをより限定的に、何度やっても同じようにできるようにしていくのもある。
反復練習で動作の精度を上げていくやつだね。

力の入れどころと抜きどころの調整だから、筋肉の動かし方だよね。
筋肉ってさ、繊維が束になったものが纏まって骨の側についてるイラストで習うじゃない。保健体育の授業とかで。
それで使ってるうちにそれらが太くなりますよって。

人によって束の太さが違うじゃない。これは完全に想像なんだけど、
あれ、さらにひと束の中で各々の繊維の太さも変わってたりすると思うんだよね。
「揖保乃糸」の束の、こっち側半分が「マ・マー」になってる、みたいな。

だいたい同じ腕の太さのピアニストと、料理人の二人の腕の筋繊維の太い場所って違うんだろうなって。

そういう、特定の技術によって認知する範囲が広がっていく体の感覚も、種々のアクティビティの楽しみの大きな要素の一つだよねっていう。そういう体の感覚の発見は昔から今に至るまで、それで多分この先も続いていく。加齢によって鈍くなっていくのも、それもまた感覚なのであろう。

木に登って枝を切ってたら次の日、どう動かしても足の裏のどこかに常に筋肉痛が走ることがあった。ボルダリングを初めてやった時以来「足ってこんなに細かく筋肉あるんだ」って面白がったりできたっていうね。

たぶんボルダリングマスターは足の指でビー玉拾うのすごい早いと思うよ。