夢を語ることの良いことと、そうじゃないこと。

夢を語るのは良いよね。
世の中においても、良いことだとされているよね。

語っているうちに自分の中で何かがカチッとはまったり、ふわっとしていたものに輪郭がついたり。
壮大だと思ってたアイディアが、言葉にしてみると「あれ、こんだけ?いけんじゃね?」ってなったり。
逆に、ささやかな夢だと思って言葉にし始めたら「広がる!広がり続けるこの夢は!」って止まらなくなったりね。

あとは、夢語りは、エンターテインメントだよね。
人を元気にする。
楽しそうに語られるストーリーに耳を傾けるのは、自分にも熱が分けられたような気持ちになるしさ。
聞いてるうちに自分の可能性についても良い方向で考えたりできる。

それから、夢っていうのは、形にして自分の外側に出すと、協力してくれる人と出会えたりするっていう有名なアレね。
個人的には協力者目当てっていうのは、自分で叶える気概に欠ける弱気な態度だって思うんだけど、そんな自分のこだわりすら捨てて実現したいほどの熱い気持ちこそが本物なのかも、とも思うよ。ここ迷う。
でも夢は、だいたいは叶った方がハッピーなものだから、叶う確率が上がるのは良いよね。
自分にとっては壮大な夢の実現に必要な、レアな1ピースだと思ってたら、違う人にとっては無限に生えてくる庭の草くらいにありふれたものだった、なんてことも無くは無いからね。

もう一つあった。
夢を語るのの良いこと。
周囲の人を安心させることがある。あ、逆に不安にさせることもあるけど。
例えば、私が日に日に筋肉をつけてムキムキにデカくなり続けてたとして。
理由もわからず日々デカくなっていく私が隣にいたらさ。
こわくない?こわいよね。
でも一言「プロレスのリングに立ちたい。」って言われたら、その恐怖はとりあえず消えるじゃない。
別な疑問も浮かぶけどさ。
他者の行動に、もっともらしい理由とか説明が無いと不安になるものじゃあないか。
駅前で知らない人がギター持って歌ってたら、「あ、ストリートミュージシャンなんだな。」で済むけど、自分の職場で知らない人がギター持って歌ってたらスルーするのは結構勇気いるよね。

そんな感じで、夢を語るのは良い。
けど。
留意してることもあってさ。

「夢語りはエンターテインメント」って言ったのに関連してさ。
夢を語って人を喜ばせることが目的になってしまうこと。これはいけない。

夢語りが上達して、聞く人の中にも夢を作り出せることは一つのナイスな能力なんだけど、これが目的になると、もう違う道を進んでることに気付かなきゃならない。
ヒモのバンドマンだよね。
「ぜってービッグになって、お前に最高の景色見せてやっから」ってね。
ビッグになるための力と、彼女を良い気分にさせるための力、今どちらが上達してるんだ?っていう自問が必要だよね。

もう一つ。
「君はどうなりたい?」って問い詰めてくる相手。
語られる夢を聞くのは楽しい。だからもっと聞きたくなって質問する。
この気持ちはだいたいみんな共通だよね。
だから、「君はどうなりたい?」って聞かれるのは普通に感じる。
でも、どうなりたいかを伝えるということは、そうなっていない現状を明かすことでもある。

「ロックスターになりたいです。」

「でも今君はロックスターになれてないわけじゃない?何が足りないかわかる?」

ここからのアドバイスは、だいたい全部当たる。何故なら最初にロックスターになれてない現実があって、それの理由になることは無限に挙げられるから。

容姿が残念、今のやり方がおかしい、このノウハウを買えば大丈夫、とか言われても、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でもその証明はその場でできないんだよね。その夢はまだ叶ってないから。「だから今うまくいってないんだよ。」って言われたら「そうかもしれませんね。」としか言えない。

自信もしくは声がデカい相手だとね、巻き込まれちゃうんだよね。場合によっては何かを挫かれて力を奪われる。
意図的にそういう話し方をして、人をコントロールしようとする人もいるし、もう気付かずクセになってるんじゃないかと思われるような人もいる。組織を治める人にそういう話し方をする人が多いよね。教師、講師、ナントカ長、ナントカリーダーなどなど。
コントロールしてもらってブワッと上昇気流に上げてもらえたら、それはお互いハッピーなのかもしれないけどね。
でも、コントロールだけされてなんか上下関係がナチュラルに形成されがちだから、夢を尋ねられた時は眉に唾をチョン、ってね。もしナチュラルマウンターに出くわしたら小指をペロっと舐めて眉に当てような。