写真を撮る時に、思い浮かべる人。

人間関係が携帯電話に収まってるお話。

1人1台、もしくはそれ以上。
だいたいの人が携帯電話を持つようになって、
だいたいの連絡は携帯電話を通して行われるようになった。
人々の持つ人間関係が手の中に収まってるわけだ。

アドレス帳の登録人数が多いと偉い風潮あったよね。今もあるのかな。
人気者とか、友達が多いハッピーライフの指標。
「母ちゃん以外に登録してる女いんのか?」なんて煽りもよく使われたよね。

携帯電話の機能の『アドレス帳』に、その持ち主の人間関係が現れる。

と思ってたんだけど。
今は『フォトライブラリ』機能が人間関係を示してるんじゃないかしら。

スマートフォンが普及して、手の中に高性能なカメラが常にある状態じゃない。
いつでもどこでも写真が撮れる。動画でも撮れる。

写真とか動画って、人に見せるために撮るでしょ。
後で思い出に浸りたい自分という人も含めてね。
板書とかメモをパシャッとやるのも、未来の自分に見せるためで、
撮影した時点から先に、想定してる閲覧者がいるんだよね。

一人でこっそり眺めてニヤけたい写真、家族に見せたい写真、あっちの友達に見せたい写真、こっちの友達に送るべき写真、利害のある人に示したい証拠写真、みたいに。

とにかく『映え』のある、不特定多数の誰かの注目を集めることを目的に撮影された写真がライブラリを埋め尽くしてたら、その持ち主の世界はその不特定多数の中にあるんじゃないかなって、ふとね。

写した被写体だけじゃなくて、その写真を共有したい誰か、っていう情報もフォトライブラリに収められてポケットに入ってるよね、っていうお話。
次回写真をめくる時に意外な人が思い浮かんだりしてな。