人は、回数を重ねた行為が上手くなる。
投げられたボールを打ち返す回数をたくさん重ねた人はバッティングが上手くなるし、
毎日オムレツを何百食も作る人はおいしいオムレツ名人。
カッとなって人を罵った回数が多い人は、他の人より簡単にキレ散らかして他者を罵倒できるし、
友達がしょげてる時に一緒にいたことが多い人は、友達がしょげてる時に上手に隣に座れる。
だから、上手くなりたいものは回数を重ねることが推奨されるよね。
上手くいかないことは、経験が足りないだけだから深刻に捉える必要もないよ、慣れよ、っていうのと一緒に。
問題はさ。
上手くなりたい行為と、上手くなるために今行ってる行為が一緒なのかっていうこと。
よく言うのはさ、綺麗にノートを作ることと、勉強ができることは違う、っていうあれみたいな。
テストの答案用紙を目の前にしたタイミングで、頭の中に入れた教科書の知識を取り出す能力とは別だけど、
綺麗にノートを作ることもまた一つの能力で、こっちを目的にするタイミングが現れた場合は、この経験回数が効いてくる。パッと見でわかりやすい資料、とか限られたスペースに情報を過不足なく配置する時とか。
そういう、過去の経験が部分的に応用できる行為もあって、生きていく上で突然それが必要になったり目標になったりする。
だから未経験なのに上達が早かったり、他の人より進みが遅い人がいたり。
今自分が何度も回数を重ねてる行為は。
上手くなりたいものと一致してるのか?って注意深く眺める。そういうの。
しんどい時に目をカッと見開いて立ち上がるのは、
A. 明らかに休息が足りてないのに休む勇気を発揮するよりも目の前の気まずさを回避することを優先する行為
B. たまに来る、関係ない出来事で色々めんどくさくなる瞬間にいったん思考を止めて行動を開始する行為
今の自分どっち? みたいなね。
どっちが上手くなって、今後も人より簡単にその状況に入れるようになりたいのか。
私はBが上手くなりたい。めんどくさい時こそ思考キャンセル起立マン。
「今のこれは、俺は何の経験を重ねている?」
「これがうまくなりたいのか?」
「もしくは上達を目的にしない、経験自体が楽しいものか?」って自分の行動を眺める、そういうの。