人の話を聞いている時に。
関係ない事が頭の中で走り出したり組み上がったりすること。
その人の話が退屈だから思考が遊び始めるっていうパターンと。
逆に話の内容に、選ばれている言葉に、話している間の相手の挙動に、スパークが起こって、
聞こえた言葉から始まった思考にもかかわらず伸び行くスピードが起点を見失わせたということもある。
どちらも少しの間、話を聞いている時。
次々に話し手が変わったりすると、その場にいながらどこかに行ってる自分に気付けない。
都度、目の前で切り替わる情報に頭がリセットされる。
これは、テープとかビデオみたいに、話だけが聞けるっていう状態と、
目の前に人がいて自分と相手が影響を及ぼしてる、もしくは及ぼされてる環境があって、っていう場合とでは、話中の思考エスケープの度合いが結構違う。
例えばちょっと風が吹いて遠くで何かが倒れる音がしたけど、話を止めるほどではない、そういう些細な音がした。
話し手と聞き手が両方聞いたとしたら、両者の間で同時に思考が曲がり始める可能性もある。
風だけじゃあなくて、温度とか目が泳いだ先に視界に入る模様とか、結構な情報量に取り囲まれていて、進む思考の方向とか形状のランダムさに幅が出る。これが録音した音声を再生した場合だと、話している人への環境からの影響、聞いている人の反応による影響を受けないから狭くなる。ランダムさ。
だから少しの間、話を聞いてる時に、じわじわと思考が遊び始めるのは、このランダムな影響の分岐が無数に伸びていく時間なんじゃあなかろうかって今思ったんだけどこれは動画の音声を聞いてるうちにだんだん飽きてきて頭が遊んだ結果に書こうとして始まったお話。