ひとり言。

ひとり言。

自分一人しかいない場所で喋ってたり笑ってたり問いかけたりするのは明らかにひとり言ってわかるんだけど、
同じ空間、声が届く範囲で発された言葉がひとり言かどうかというのは、ちょっと難しい。

「暑いな。アイスでも食べたいな。」

その場に居合わせた人が完全に他人同士だったらこれはたぶんひとり言になる。
でもちょっと関係がある人だと、これは超高度なコミュニケーションの一部に。
発言に応じて会話をスタートさせるのか、そこからさらにアイスの方に焦点を当てて買い物にまで繋げるのか、
みたいな、その場の顛末の行先を委ねられたような複雑さがある。
もちろん双方に好きな発言をする自由もあるし、しない自由もある。そしてその自由があることも複雑さの一因なんだ。
「その自由を取ったか」みたいな腹の読み合いが発生しているんじゃないか? なんて考えたり。

完全に面識の無い他人の話に戻ると、
通りでブツブツ言いながら歩いてるおじさん、これはたぶんひとり言。
AirPods的なアレがある場合は通話中もしくは配信中の可能性も、最近はある。

面識の無い他人のひとり言でトリッキーなのは、怒れるおばさん。電車でたまに見かける。
目線を逸らす乗客に完全にロックオンして怒気を含んだ言葉をぶつけてる。
内容は決まってわからない。
これはひとり言と呼べるのだろうか。
意味がわからないから受け取れないし、受け取る気も持てないから、会話が成立してないということになって、
ひとり言扱いでよかろう、とは思うものの。
でも彼女にとってはひとり言じゃあないのかもしれない。その認識の違いが、結論をちょっと滑らせる。

アイスが食べたいバイト先のボスの「アイスでも食べたいな。」が、ボスにとっては『パシリ要求のイントロ』で、それを『ひとり言』としてシカトした私の場合と違いがあるのか。
ここに書かれたものはひとり言になるのか何か期待されたコミュニケーションがあるのか。

あの無差別に振り撒かれる怒気は、頭の中のリミッターとかストッパー的な何かが外れた結果なのか、逆に、大きな何かが頭の中いっぱいに入った結果なのか。

もし前者であれば、色々外れた結果、人の頭に残るものは怒りで、奥底ではいつも怒りが火を吹いててそこに色々リミッターとかストッパーとか、覆いに相当する何かがたくさん重なって、怒れるおばさんではない振る舞いが保たれているということになるのではなかろうか。

後者だった場合は、頭の中いっぱいに入った何かが、とても悪いものだったんだろうな。うん。